小さな組織でもイノベーションを起こす方法

「エクセレントな仕事人になれ」を読んで、僕は少し反省した。本自体は自己啓発書として、これでもかといろんなTipsが書かれていて、何かやらないとまずい気にさせてくれる。

その本の中で、イノベーションの重要性とやり方について書かれていた。僕も、イノベーションが重要だと思っているけど、それに対して全然取り組みができていないことに気づいてしまった。それは以下のようなことだ。(自分が感銘を受けた部分だけを取り上げている。本の内容とは、項目立ても表現も違う。曲解かもしれない。)

 

研究開発を行う

業務や組織を活性化させたり、新しいビジネスを模索するためには、研究開発をしなければいけない。そして重要なのは、それは組織の大きさや内容に依存しないことだ。何か小さくても良いので、自分の時間を研究開発の時間にあてる。やって何が得られるか事前にわかるわけではないが、何かをやらないと何も始まらない。そうやって、一定割合の労力を研究開発に割けているだろうか。

 

プロトタイプをつくる

新しい取り組みをしてみるにしても、本格的にサービスとして開始するにはいろんなハードルがある。ただ、頭で考えているだけでは結局何も始まらない。まずはプロトタイプを作ってみることだ。当たり前だけど、とても重要なことだ。やろうと思って、まったく形にできていないことがとてもたくさんある。

 

単発プロジェクトを立ち上げる

何か新しい取り組みをやろうと思うなら、今の業務とは全く別の単発モノのプロジェクトを立ち上げるのも良い気がする。何人か同調できるメンバーとプロジェクトを立ち上げ、検討や試作を行う。通常業務と違う取り組みは、刺激と新しい発想を与えてくれるはずだ。

 

お手本となる部門をつくる

イノベーションとは直接結びつかないかもしれないけど、組織全体の底上げをしようと思うなら、どこか一部の組織を鍛えあげてお手本となる人や組織をつくるのが良い。例えば、セブンイレブンの初号店である豊洲店は、今でも接客や店の清掃がピカイチで有名。自分の組織でも、そういうお手本といえるような「エクセレント」な人や組織っていうのは、あるだろうか。

 

というわけで、偉そうなことを書いたので、これまでやれていなかったことを反省して、少し行動に起こすか。

岐阜県の人口減少と流出が進んでいる件について

平成23年の統計情報が出揃い、岐阜県の転入・転出人口については転出人口が上回ったというニュースを見た。気になったので、少し調べてみたところ、転出は平成23年だけの話ではなく、平成10年ぐらいから始まり、平成17年から常態化している。

人口としては転入・転出ともに4~5万人ぐらいの規模になる。一方で、県全体の人口をみると210万人を超えたあたりから減少傾向が顕著になり、現在は207万人ぐらいになる。だから、毎年2%ぐらいの人が県に入ったり出たりしていることになる。

全体の人口が減っていて、転入を転出が上回るということは、県には人口を引き止める要因が少ないということになるんだろう。県外への転出も県外からの転入でも、最も多く占めるのは「職業上の理由」。つまり、仕事が県外にあるから出ていったり、県内に仕事があるから来る人が多い。そう考えると、地域で仕事をつくる、ということが人口の減少を食い止める一番効果的な方法なのかな。

 

あと面白いのは、「住宅事情」で県外から来る人が結構いる。この項目は唯一転出より転入が上回っている。地価が安かったり、岐阜から名古屋へのアクセスは意外に良いので、ベッドタウンとして見直されているのかもしれない(岐阜から名古屋は電車一本で30分かからない)。雇用をつくることももちろん大切だけど、人口が増える要因はそれだけじゃない。街をどう作っていくかという方向性にも拠るんだろうけど、岐阜の場合は名古屋とどう共存していくか、という点も重要な要素かもしれない。

例えばベッドタウンになるんだとすれば、たとえばいろんな教育機関を手厚くしてみるとかどうだろうか。レベルが高いと言われる幼稚園を建ててみるとか。東京にある有名私立の付属校を誘致するとか。魅力がある教育施設が岐阜にあれば、名古屋から移住して、子供に通わせたいと思う人はそれなりにいるんじゃないだろうか。

 

人口の減少はこの先も続くんだろう。街はどう変化してくんだろうな。

小さなチーム、大きな仕事

何かすごく目新しいことを書いてある本ではない。だけど、現代の価値観における組織論が多く含まれていると思うね。この本に書かれている価値観の大半に、僕は同意する。

例えば、

彼らは危機すら生み出す。彼らは好きで働きすぎているので、効率的な方法を探さない。ヒーロー感覚を楽しんでいるのだ。たくさん働くと興奮するというだけで問題を作り出す(本人も気づいていないことが多い)。P.29

こういう、価値の低い自己満足な長時間労働とか。がむしゃらに働くことを否定しないし、それでとても自分が成長したとも思うけど、長時間働く意味と価値は常に考えないといけないし、できればしないように管理するべきだとも思う。

 

そして、本の中で特に気に入ったものを取り上げておく。

 

けんかを売る

もし競合相手が最低だと思ったらそう言おう。そうすれば、あなたに同意する人があなたの側に集まってくるのがわかるだろう。アンチでいることは、あなた自身を差別化し、人を惹きつけるのに非常に良い方法だ。P.144

何かをはっきりすることは、それに反対する人もいるだろう。誰だって人に嫌われるのは怖いのかもしれない。だけど、こういう考えを持てることができれば、嫌われてでも主張しなきゃいけないことに、勇気を持てる。そして、そういうマインドこそ今後求められていくのだとも思う。

 

ルールを作る

あなたはアップルよりもアップルらしくすることはできない。彼らはゲームのルールを握っているのだ。そしてルールを作っているののを打ち負かすことはできない。あなたは少しだけ良いものを作るだけでなく、ルールを再定義しなくてはいけない。P.153

誰のルールで勝負しているのか、ということを常に考えないといけない。僕らコンサルは、組織の中でルールを作ることから始めることも多い。何事もルールを決める立場が強い。関係者との調整を図る部分もあるが、それでも決める裁量と幅は、ルールを決める側が最も大きい。ルール作りを誰かに委ねている時点で、勝負はみえているのかもしれない。

 

文章力を鍛える

文章力がある人はそれ以上のものを持っている。文章がはっきりしているということは、考え方がはっきりとしているということである。文章家は、コミュニケーションのコツもわかっている。ものごとを他人に理解しやすいようにする。他の人の立場に立って考えられる。彼らは、何をしなくていいかもわかっている。そんな能力こそ必要なはずだ。P.221

同感だ。言語化することはとても思考を刺激してくれる。文章を書く機会を大切にしようと思うし、今後社会に出る人は、ぜひ文章力を鍛えることをおすすめしたい。そのためには、読書して、ブログ書いて、国語の授業を真面目に受けるのが良いと思う。

 

内容も去ることながら、こういう文章を纏めて読むことで、とてもポジティブな要素を自分に取り入れることができる気がする。こんな感覚を。

大きな仕事をするには、他と違ったことをしているという感覚が必要だ。世界にささやかに貢献している、あなたは重要なものの一部である、という感覚だ。P.34

次から次と成功する起業相談所

静岡県富士市にある起業支援の本。こういう人が一人でも増えれば、きっと地域経済は楽しくなるんだろうな。

本の中では、いくつも中小企業の例が出てくる。これらの事例について、自分だったらどうコンサルするか想像しながら読むと面白い。

 

足らないのは技術力ではなくマーケティング力

相談者の話をよくよく聞いてみると、思うようにいっていない原因はたいてい共通している。それは、この山喜旅館のように、自分の「売り」を的確に掴めていないため、どこに付加価値をつけて消費者にアピールすればいいか、コンセプトが定まっていないことにある。P.86

これを読んで思うのは、他にはない技術があるのに、自分たちの強みや差別化要因がわからず、売上が伸び悩む中小企業がたくさんいるということ。中小企業には「差別化の要因」を明確にして、それをパッケージとして売り出すマーケティング能力が一番求められているんだろう。

 

別の表現として、以下のような記述もある。

いま、新しいビジネスを生み出す、あるいは地域を活性化するためにとても重要なのは、人と人を結びつけることである。つまり、支援対象者の真のニーズをしっかりとくみとったうえで、問題解決につながったり、新たな可能性を拡げたりすることのできる最適な人材や機関を見出し、相談者と「つなげる」こと。この、コーディネートの技量が大変重要なのだ。P.126

地方では公的機関や金融機関が中小企業に対して経営支援を行うのだろうけど、それだけでは拾えないところがたくさんあるんだろうな。企業の強みや特徴を的確に捉え、マーケティングにつなげていく。そういう機能が必要とされてるんだな。

 

あと、国や地方で企業支援制度が設けられているけど、これはこれで活用が難しいと思うんだよね。診断士で勉強したけど、種類がたくさんあるし、それに応じた条件もそれぞれあるし、中小企業がそれを自分で調べたりして活用するのはとても難しい。そのために中小診断士がいるのかもしれないけど、お金かかるしね。

 

直接支援することも必要だけど、こういう人材や機関をどうやって作るかを考えるのも良いアプローチかもしれない。こんなロールモデルが少ないよね。きっと。

今の日本でモチベーション3.0は実現できるか

プレジデントの調査によると、職場のモチベーションの半分程度を金銭的対価が占めており、ダニエル・ピンクが提唱するような「モチベーション3.0」が根付いていない、という記事があった。

 

この結果は、私が参加して、本誌が、2010年の5月3日号で行った「働きがいのある会社」アンケートの結果であり、「あなたが働くモチベーションは何ですか」という問いに対して、全体で54%が、「給料」だと答えているのである。

 

日本に「モチベーション3.0」が根づかない理由 : プレジデント(プレジデント社)

そこで、「環境退化説」というのが述べられていて、少し面白かった。

そろそろ、「人材退化説」に対して、「環境退化説」へと思考のパターンを移すときではないか。私が最も恐れるのは、今回お見せしたようなデータの背後に、仕事環境の退化が起こっており、その結果として、3.0レベルのモチベータなどはとても望めないと考える人がモチベーション2.0へと回帰している可能性である。

で、その中で環境が退化している、というと自分としてはわかりにくかったんだけど、結局職場自体が保守的になっていて、挑戦するような仕事もないし、そういう雰囲気でもない、という状況が多くの職場で見られている、ということだろうか。

 

そもそも、なぜ多くの理由を給料に求めるのだろう。単純に金銭に余裕がないから、ということも考えられる。実際、平均給与は年々下がっている。


(単位:千円。国税庁 民間給与実態統計調査結果のデータを元に作成)

 

たしか、ダニエル・ピンクも「モチベーション3.0」へ移行するには、「ある程度の所得水準以上が必要」というような言い方をしていたはずだ。先進国はモチベーション3.0へ移行していく、というイメージがあるのかもしれないけど、物事はそんなに単純ではなくて、経済成長がなく、給与が下がり、生活水準が少しずつ落ちていき、この先の将来に希望を感じない日本で、「成長機会を求めるんだ!」という考えを強く抱くのは難しいのかもしれない。

 

会社がお金を稼げないのだから、金銭的に満足のいく待遇を得られる確率も減ってくる。少しずつ年収が減っていけば「この先どうなるんだろうなあ」と思う。そう考えるとやっぱり、企業の成長と個人の成長は近い関係にあるのかもしれない。経済が停滞している国で「モチベーション3.0」を唱えられても、僕は違和感だよ。何となく論点をずらされている気がしてしまう。都会の生活に疲れたから、田舎でゆっくり生活しませんか、みたいな。

だから、モチベーション3.0が正しいのだとすれば、単純に日本はモチベーション2.0から脱却できないぐらい金銭的には困窮というか、マズローのいう「安全の欲求」とか「所属と愛の欲求」とか、そういう自己実現に至る前の欲求が十分に満たされていないんじゃないか、と考える方が個人的には納得感がある。

 

ただ、この円高で日本円はとても高くなっているので、成長著しい国で通用するスキルを持って移住すれば、「モチベーション3.0」は発揮できるのかもしれない。あるいは、日本でもソーシャルゲームの領域とか、市場の伸びが著しいところについては、こういうモチベーション論が有効に働くのかもしれない。

 

今日はこのへんで。

ノートPCからHDDを取り出して外付けにする

古いノートPCをほとんど使わなくなったので捨てようと思ったんだけど、そのまま捨てるのは勿体ないのでハードディスクを取り出して再利用することにした。

やり方は簡単で、ノートPCの底面のネジを適当に外して、HDDを引き抜くだけ。多分、どんな機種でもそんなに違わないはず。

ここらへんが参考になる。

ノート用内蔵HD取付TOPページ

あとは、引き抜いたHDDをこのケースに入れる。すると、USBのポータルHDDに変身する。すごい簡単にできてびっくりした。

以前、Macのメモリを増設したときも思ったけど、普段使うだけじゃなくて、ちょっとしたことを知っているだけで効率性がぐっとあがったり、無駄なお金を使わずに済むことがよくある。僕は実家でインストールとかでトラブって使えなくなったPCを復元したり、Excelの関数の使い方を教えたりしている。年齢に関わらず知らない人は知らないし、基本的なことで躓いてしまうと、どうやって調べたり対処したら良いかわからないのだろう。Google先生はちゃんと質問してくれる人でないと、答えを返してくれないし。

NTTのCMで、中小企業向けのPCサポートを宣伝しているけど、ああいう中小企業って実際に多いと思うんだよね。大企業は積極的にシステム投資しているし、中規模も大手ベンダーが市場拡大のために狙っている。けど、やっぱり小規模な企業を相手にすると利益が出ないから、結果としてITリテラシーがあまり高くない。

 

例えば、自動車整備の専門学校があるように、IT機器の専門学校ってあるんだろうか。あるいは、今の学校における情報教育ってどういう内容を教えているんだろう。Officeソフトはマイクロソフトでなくてもだいたい同じラインナップだし、これらは基本スキルとして定義して、教育の一環で教えても良いんじゃないだろうか。あとは、PCの基本構造とかもね。

 

ITというのは生活や業務に汎用的に利用される機会がとても大きいから、ITリテラシーを向上させるような社会の仕組みがあれば、中小企業の生産性も向上して、結果として全体の生産性が上がるのかもなーと、PCのHDDを取り外してるときにふと思った今日この頃。

 

他にも、このブログからこのあたりの製品が売れています。

 

理不尽な給料

こんな本を、就活する前に読みたかったな。

どこも完璧な社会というのはないのだろうけど、いろんなところに格差というか理不尽さが含まれていることは、知っておいて損はない。この本を読めば、世の中にはいろんな部分で所得格差があることがわかる。

正社員と非正規雇用とか。
男性と女性とか。
学歴によるヒエラルキーとか。
大企業と中小企業とか。

 

地方に住む場合、どのように所得を高くするか

地理的な制約がないのであれば、大学でいわゆる名門と言われる大学(六大学とか旧帝大)に入って、大企業に入社するのが、未だに合理的な選択になる。すると、今の場合は大学も企業もほとんどが東京に集中している。

では、地方に住む場合はどうするか。地方で所得を高めていくには戦略が必要になるんじゃないか。

一方で沖縄をはじめとする地方都市には、大企業はあまりなく、地元の小規模な商店やサービス業がメインです。イオンやイトーヨーカドーなどの大型ショッピングセンターがあったとしても、地元で雇用されている人は、地域の時給相場で採用されたパートタイマーが中心です。 もちろん地方にも優良企業は存在するものの、周りの賃金相場が低い中で、高い賃金を出すにはかなり勇気が要ります。P.40

地方の場合、都市部と違い大企業の本社機能はなく、子会社や支社、工場がある場合が多い。だから大企業のメイン部分の仕事は存在しない。そして、大企業と中小企業には統計上明確に所得格差が存在している。

だから、地方に住んだまま大企業の高給な仕事に就くのは難しい。すると、医師や税理士など、地方でも企業に属さず稼げそうな資格取得を目指すのもひとつの手段かもしれない。ただ、最近では弁護士や会計士も取得者を政策によって増やしすぎて、あぶれているという笑えない現実もあるのだけれど。

 

実は地方に住んだ方が豊かになれるかもしれない

実は地方の方が豊かに暮らせるかもしれない、という数字もある。

総務省「平成22年家計調査年報」によると、1世帯当たりの実収入トップは福井市。東京都区部の10%以上も高い水準です。P.34

これは、実家が近く、子育てしながらでも共働きが成立しやすかったり、地価が安いため持ち家が入手しやすいという要因が関係している。都市部では実家が近くにないし、子供を育てながら仕事も両立するのはやっぱりとても難しいのだろう。何を優先するか、ということにも拠るけど、世帯の所得という点でみれば、地方が豊かになる可能性もあるのだなあ。

 

それに、こういう調査結果もある。

転職情報サービス「DODA(デューダ)」が2011年3月に発表した調査によると、社員の仕事満足度と企業規模には、ほとんど相関関係が見られませんでした。P.59

大企業だからやりがいのある仕事ができる、というのはあまり信じない方が良いということかね。大企業の方が給料が良いとか、仕事で関わる人が多いので面白いとか、大企業の方がゆくゆくの転職で有利という面はあるのだろうけど。

なので、地方の中小企業でも仕事として満足できるところはあるのかもしれない。有効求人倍率も大企業と中小企業では大きな開きがあるのだし、中小企業で楽しそうな仕事ができそうだと思えれば、それはとても運が良いのかもしれない。

 

今の社会で厄介なのは、一度社会人になってしまうと、このような格差を解消するのが難しい点にあると思っている。最初の就職で失敗すると這い上がれない。だから必死になるのだろうけど、実は入った大学によって勝負の多くは決まっていたりもする。遡っていくと、教育機会とコストの問題になるんだよね。そういう意味で、高校の学費無償は賛成。

とにかく、子供を持つ親も、就職を考える学生も、この本を読んで日本社会の現実は知っておいた方が良いと思う。大学によって就職のハードルは大きく違うし、有利な大学に入ろうと思うと高校から進学校を選択する方が確率は高くなる。地方で暮らしていると、高校ぐらいまでは地元の進学校に行って、そこから上京して大企業に就職というパターンが望ましくなるのかな。地方は高学歴になる人材をどんどん都市部に吸収されているけど、それはそれで個人レベルでは合理的な選択だったりする。地方はそうやって疲弊していくんだろうか。これまでの公共事業による還元はもう意味がないし。優秀な人材が地元にとどまる仕組みがもっと必要な気がしてるんだけど。

一般意志2.0

今、統治に関するテーマが熱い。大阪都も関西広域連合も中京都も新潟州も東北広域連合も、新しい統治の仕組みを求めている。そして、新しい統治を模索する上で、この本のアプローチはとても興味深い。「一般意志」という概念自体が、いろいろ考えさせてくれた。

 

直接民主主義は完全な答えではない

Tを活用した直接民主主義の方法が注目されているが、以前からこれは、今の政治不信の直接的な解決策にはならないんじゃないかと感じていた。この本でも同様のことが述べられている。

そもそも本書の出発点は、現代社会はあまりに複雑で、その理解が有権者の認知限界を超えているために政治が麻痺している、という問題意識にあった。それゆえ、直接民主主義の導入は解決にならない。すべての法案や政策の是非を国民投票で問うようになったら、投票に際して知るべきこと判断すべきことが爆発的に増え、国民の多くが面倒くさがって投票に行かなくなるだけなのは目に見えている。P.181

つまり、直接民主主義だと選ぶための情報処理量が多く必要になるので、余計混乱するか、有効に機能しないだろう。だから、「もっと政治に興味を持とう。直接参画しよう。」という流れは、間違いではないとは思うものの、今の政治の停滞感を解消するものではないと思うのだ。そういう意味で、市民の直接参加を求めない「一般意志」というアプローチはとても自分にとっては新鮮に写った。

 

熟議では物事は決まらない

「熟議カケアイ」のような熟議の取り組みが注目されているが、これも今の政治の停滞の答えではないと思っている。熟議を否定するわけじゃないけど、多様な意見やベクトルがある今の世の中で、熟議によって合理性のあるコンセンサスが作られるとは思えない。だから、熟議によって専門的な意見を含めて議論するのは良いと思うが、それと「決定する」ことは別だと思うのですよ。

決めるプロセスだとか、決めるためのリーダーの選び方とか、そういう部分に新しい要素が求められてるんじゃなかろうか。

 

政治へのプロセスは透明性が重要だろう

個人的に疑問に思うのは、GoogleでもTwitterでも、民意反映のための正式な情報源として捉えるのは難しいだろう、ということだ。GoogleでもTwitterでも「網羅的」な情報源ではないし、恣意的に操作される危険性は回避されていない。また、言語による意思表明となると、どうしても「サイレントマジョリティ/ノイジーマイノリティ」の問題が出てくる。

例えば海外のオープンガバメントの取り組みでは、ネット上で一定数以上の賛成が集まったら議会で審議を行うとか、民意が正式な政治プロセスに組み込まれた仕組みも登場している。一般意志という考えは面白いし納得する部分も多いけど、どうやって民意を反映するか、という点においては、意思を「票」に変換することでサイレントマジョリティ/ノイジーマイノリティの差をできるだけ小さくするとか、どういう情報源がどういうプロセスを通して政治に反映されていくとか、そういうプロセスの透明性はどうしても必要だと思うんだよね。

 

ああ、思考が刺激される良い本を読んだ。

ディスカッションパートナーの重要性

最近、ディスカッションパートナーという言葉をよく使う。

ブレストなどでアイデアを持ち寄るのではなく、誰かに教えてもらう場でもなく、「議論をするため」のパートナーとして、社内の誰かと議論する。議論することで、いろいろ有意義なことがあるんだよね。特に、考えなければいけない事項が多い、複雑な問題なんかは。

 

言語化による論理的欠落や矛盾の発見

脳による思考というのは、良くも悪くも論理的に欠落や矛盾があっても、それを内包した状態で思考できてしまうので、自分だけでは気づきにくい。誰かに話す形で言語化されると、自分が話しながら論理的欠落や矛盾を抱えていることに気づくことがよくある。

 

疑問を呈されると思考が促進される

議論をすることで、双方でいろいろ疑問について「それってどういう意味?」とか「こういう不明点はどういう根拠を用意するの?」みたいな質問が交わされる。こうやって質問が出ることで、そこを思考するようになる。正しい問いを設定することは、とても重要だ。

 

思考の相乗効果が期待できる

ディスカッションパートナーは、当然のことながら自分と同じように考えてくれる。だから、自分ひとりより「考える量」が増える。そして、相手が考えた内容に対してさらに、「その場合はこうなるな」とか新しい発想や疑問が浮かんでくる。議論の場では、そういうことが繰り返されていく。この相乗効果が、短い時間で検討内容の質と量を大きく引き上げることになる。

 

ただ、ディスカッションパートナーには条件が含まれる。当然のことながら、誰でも良いわけではない。少なくとも議題に対して、自分と同等、あるいはそれ以上の知識があり、議論の前提条件を把握していることが望ましい。

「教える・教えてもらう」の関係ではなく、対等に議論をすることで、双方から知恵を効果的にひねり出す。そういう関係が、とても議論を効果的に進めていく。

 

そういう意味では、仕事だけでなくて、いろんな場面でこういうパートナーが必要だなあとも思う。

今日はこのへんで。

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政府はなぜ信頼されないのか

政府はなぜ信頼されないのだろう。この漠然とした不信感はなんだろう。

政治家が国民本位ではなく、自分たちの保身のために政局に時間を浪費しているように見えるから?
政府や地方自治体は無駄な作業ばかりやって、ちっとも効率的じゃないから?
メディアは政府を批判するばかりで、ちっとも良い面や代替案について正確な報道をしていないから?

この本は、そういういろんな側面から政府の信頼が低下していった理由を紐解こうとしている。実際、アメリカでは1950年代は政府への信頼はとても高く、現在に至るまでにどんどん低下している。そして、それはアメリカだけではなくほとんどの先進国で共通する現象だ。

 

社会的事象を正確に分析するのは難しいけれど、この本ではいくつかの要因に整理した上で、まとめている。そのひとつにメディアの政府に対するスタンスの変化が挙げられている。思えば、テレビや新聞の報道は中央政府や政治に関する報道がほとんどトップニュースにある。政府支出なんて、GDPの5分の1ぐらいなのだし、地方政府や民間企業の動向に対する報道が増えても良いんじゃないかと思うんだけど。岐阜に住んでいて思うけど、改めて地方政治に関する情報量が少ない。議員や公務員の不祥事はニュースになるけど、予算編成の内容や政策に関しては、正直よく把握できない。

 

政治家や官僚、政治制度そのものの信頼が低下していくと、モラルハザードを呼び起こし、制度そのものが成立しなくなっていく。制度や権力が成立するためには、周囲からの信頼と強制力が占める。そして、民主主義には権力機構に対する信頼が必要なのだ。信頼を向上させるためには、何が必要なのだろう。政治家は自分たちの保身や党利党略ではないスタンスで政治について議論して欲しいし、僕らは政治や政府がちゃんと成果を出しているか知らないければならない。正直、自分の住む街の治安が良くなっているのかどうかも知らないし、財政状況も良いのか悪いのかも知らない。知らないことだらけだ。

 

オープンガバメントは、政府に対する信頼性を向上させるとともに、市民の政治への参画機会を向上させる。これまでの一方的で限定的なマスメディアの情報とは違うし、新しい情報の流通経路が生み出されるだろう。オープンガバメントが新しい統治形態なのかはわからないけれど、今の通り政府の信頼が低下したままでは、いずれ民主主義制度そのものが崩壊する、という脅しも嘘ではなくなるのかもしれない。