最近、ディスカッションパートナーという言葉をよく使う。
ブレストなどでアイデアを持ち寄るのではなく、誰かに教えてもらう場でもなく、「議論をするため」のパートナーとして、社内の誰かと議論する。議論することで、いろいろ有意義なことがあるんだよね。特に、考えなければいけない事項が多い、複雑な問題なんかは。
言語化による論理的欠落や矛盾の発見
脳による思考というのは、良くも悪くも論理的に欠落や矛盾があっても、それを内包した状態で思考できてしまうので、自分だけでは気づきにくい。誰かに話す形で言語化されると、自分が話しながら論理的欠落や矛盾を抱えていることに気づくことがよくある。
疑問を呈されると思考が促進される
議論をすることで、双方でいろいろ疑問について「それってどういう意味?」とか「こういう不明点はどういう根拠を用意するの?」みたいな質問が交わされる。こうやって質問が出ることで、そこを思考するようになる。正しい問いを設定することは、とても重要だ。
思考の相乗効果が期待できる
ディスカッションパートナーは、当然のことながら自分と同じように考えてくれる。だから、自分ひとりより「考える量」が増える。そして、相手が考えた内容に対してさらに、「その場合はこうなるな」とか新しい発想や疑問が浮かんでくる。議論の場では、そういうことが繰り返されていく。この相乗効果が、短い時間で検討内容の質と量を大きく引き上げることになる。
ただ、ディスカッションパートナーには条件が含まれる。当然のことながら、誰でも良いわけではない。少なくとも議題に対して、自分と同等、あるいはそれ以上の知識があり、議論の前提条件を把握していることが望ましい。
「教える・教えてもらう」の関係ではなく、対等に議論をすることで、双方から知恵を効果的にひねり出す。そういう関係が、とても議論を効果的に進めていく。
そういう意味では、仕事だけでなくて、いろんな場面でこういうパートナーが必要だなあとも思う。
今日はこのへんで。
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