一般意志2.0

今、統治に関するテーマが熱い。大阪都も関西広域連合も中京都も新潟州も東北広域連合も、新しい統治の仕組みを求めている。そして、新しい統治を模索する上で、この本のアプローチはとても興味深い。「一般意志」という概念自体が、いろいろ考えさせてくれた。

 

直接民主主義は完全な答えではない

Tを活用した直接民主主義の方法が注目されているが、以前からこれは、今の政治不信の直接的な解決策にはならないんじゃないかと感じていた。この本でも同様のことが述べられている。

そもそも本書の出発点は、現代社会はあまりに複雑で、その理解が有権者の認知限界を超えているために政治が麻痺している、という問題意識にあった。それゆえ、直接民主主義の導入は解決にならない。すべての法案や政策の是非を国民投票で問うようになったら、投票に際して知るべきこと判断すべきことが爆発的に増え、国民の多くが面倒くさがって投票に行かなくなるだけなのは目に見えている。P.181

つまり、直接民主主義だと選ぶための情報処理量が多く必要になるので、余計混乱するか、有効に機能しないだろう。だから、「もっと政治に興味を持とう。直接参画しよう。」という流れは、間違いではないとは思うものの、今の政治の停滞感を解消するものではないと思うのだ。そういう意味で、市民の直接参加を求めない「一般意志」というアプローチはとても自分にとっては新鮮に写った。

 

熟議では物事は決まらない

「熟議カケアイ」のような熟議の取り組みが注目されているが、これも今の政治の停滞の答えではないと思っている。熟議を否定するわけじゃないけど、多様な意見やベクトルがある今の世の中で、熟議によって合理性のあるコンセンサスが作られるとは思えない。だから、熟議によって専門的な意見を含めて議論するのは良いと思うが、それと「決定する」ことは別だと思うのですよ。

決めるプロセスだとか、決めるためのリーダーの選び方とか、そういう部分に新しい要素が求められてるんじゃなかろうか。

 

政治へのプロセスは透明性が重要だろう

個人的に疑問に思うのは、GoogleでもTwitterでも、民意反映のための正式な情報源として捉えるのは難しいだろう、ということだ。GoogleでもTwitterでも「網羅的」な情報源ではないし、恣意的に操作される危険性は回避されていない。また、言語による意思表明となると、どうしても「サイレントマジョリティ/ノイジーマイノリティ」の問題が出てくる。

例えば海外のオープンガバメントの取り組みでは、ネット上で一定数以上の賛成が集まったら議会で審議を行うとか、民意が正式な政治プロセスに組み込まれた仕組みも登場している。一般意志という考えは面白いし納得する部分も多いけど、どうやって民意を反映するか、という点においては、意思を「票」に変換することでサイレントマジョリティ/ノイジーマイノリティの差をできるだけ小さくするとか、どういう情報源がどういうプロセスを通して政治に反映されていくとか、そういうプロセスの透明性はどうしても必要だと思うんだよね。

 

ああ、思考が刺激される良い本を読んだ。

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