「ペースレイヤリング」でいろんなレイヤのスキルを身につけよう

日経コンピュータを読んで、「ペースレイヤリング」という考えが紹介されていて、面白いなと思った。 ガートナーが提唱していて、業務やシステムの変化する時間軸に応じて、対応方法を変えよう、という考え方。

ガートナー | ペース・レイヤリングによる先進的なアプリケーション戦略の策定法

確かに、財務会計とか、小規模な見直しは行うものの、作業のやり方を随時大幅に変えるとか、それによって他社と差別化するとかは起こりにくい部分。逆に、受発注システムとかWebサイトとか、差別化の要因となる業務システムについては、随時見直して差別化を図る必要がある。

これらの特徴に合わせて、調達方法とか業務の見直しタイミングを確立することが重要だ、というのが本旨だろう。

 

ペースレイヤリングは、元々は建築分野から生まれた概念だそう。

そして、このパタン・ランゲージの考え方をもとに生まれたのが、スチュアート・ブランド氏の著書『How Buildings Learn』です。ブランド氏は、この本の中で建物の構造における「時間変化による層(ペースレイヤリング)」という概念を提唱しました。

「ペースレイヤリング」とは、建物の構成要素について、その変化のしやすさ(しにくさ)を「土地」「構造」「外装」「サービス」「空間計画」「モノ」という層に分け、生活スタイルや家族構成の変化、地域の発展などによって、どういった層が影響を受け、どういったところが変わっていくのかといったことを、フィールドリサーチを元に分析をしたものです。

建築分野に学ぶWebサイト設計――“変化するWebサイト”をどう捉えどう発展させるか | Web担当者Forum

引用元の記事では、Webサイト構築にも同じ考えが適用されていて面白い。

 

これって、いろんな分野で適用できるんじゃない?って思った。例えば人材育成とか。きっと人のスキルって一言で言ってもいろんなレイヤがあって、個人や企業の文化に直結するような考え方やスタンスが最も根幹だとすると、Excelで関数たくさん使えるとかJavaでサイト構築できる、というようなスキルは、時代の流れによって簡単に意味がなくなってしまうリスクがある。

だから、自分の成長を考える上でも「レイヤ」を意識することが必要なんじゃないだろうか。例えば、時間軸によってスキルが変わると考えると、

みたいな。特に、終身雇用なんてもう存在しないだろうから、業界全体や社会全体を考える発想が重要になるんだろうな。今自分が必死に身につけようとしているスキルは、どのレイヤに当たるだろうか。

小さな組織でもイノベーションを起こす方法

「エクセレントな仕事人になれ」を読んで、僕は少し反省した。本自体は自己啓発書として、これでもかといろんなTipsが書かれていて、何かやらないとまずい気にさせてくれる。

その本の中で、イノベーションの重要性とやり方について書かれていた。僕も、イノベーションが重要だと思っているけど、それに対して全然取り組みができていないことに気づいてしまった。それは以下のようなことだ。(自分が感銘を受けた部分だけを取り上げている。本の内容とは、項目立ても表現も違う。曲解かもしれない。)

 

研究開発を行う

業務や組織を活性化させたり、新しいビジネスを模索するためには、研究開発をしなければいけない。そして重要なのは、それは組織の大きさや内容に依存しないことだ。何か小さくても良いので、自分の時間を研究開発の時間にあてる。やって何が得られるか事前にわかるわけではないが、何かをやらないと何も始まらない。そうやって、一定割合の労力を研究開発に割けているだろうか。

 

プロトタイプをつくる

新しい取り組みをしてみるにしても、本格的にサービスとして開始するにはいろんなハードルがある。ただ、頭で考えているだけでは結局何も始まらない。まずはプロトタイプを作ってみることだ。当たり前だけど、とても重要なことだ。やろうと思って、まったく形にできていないことがとてもたくさんある。

 

単発プロジェクトを立ち上げる

何か新しい取り組みをやろうと思うなら、今の業務とは全く別の単発モノのプロジェクトを立ち上げるのも良い気がする。何人か同調できるメンバーとプロジェクトを立ち上げ、検討や試作を行う。通常業務と違う取り組みは、刺激と新しい発想を与えてくれるはずだ。

 

お手本となる部門をつくる

イノベーションとは直接結びつかないかもしれないけど、組織全体の底上げをしようと思うなら、どこか一部の組織を鍛えあげてお手本となる人や組織をつくるのが良い。例えば、セブンイレブンの初号店である豊洲店は、今でも接客や店の清掃がピカイチで有名。自分の組織でも、そういうお手本といえるような「エクセレント」な人や組織っていうのは、あるだろうか。

 

というわけで、偉そうなことを書いたので、これまでやれていなかったことを反省して、少し行動に起こすか。

小さなチーム、大きな仕事

何かすごく目新しいことを書いてある本ではない。だけど、現代の価値観における組織論が多く含まれていると思うね。この本に書かれている価値観の大半に、僕は同意する。

例えば、

彼らは危機すら生み出す。彼らは好きで働きすぎているので、効率的な方法を探さない。ヒーロー感覚を楽しんでいるのだ。たくさん働くと興奮するというだけで問題を作り出す(本人も気づいていないことが多い)。P.29

こういう、価値の低い自己満足な長時間労働とか。がむしゃらに働くことを否定しないし、それでとても自分が成長したとも思うけど、長時間働く意味と価値は常に考えないといけないし、できればしないように管理するべきだとも思う。

 

そして、本の中で特に気に入ったものを取り上げておく。

 

けんかを売る

もし競合相手が最低だと思ったらそう言おう。そうすれば、あなたに同意する人があなたの側に集まってくるのがわかるだろう。アンチでいることは、あなた自身を差別化し、人を惹きつけるのに非常に良い方法だ。P.144

何かをはっきりすることは、それに反対する人もいるだろう。誰だって人に嫌われるのは怖いのかもしれない。だけど、こういう考えを持てることができれば、嫌われてでも主張しなきゃいけないことに、勇気を持てる。そして、そういうマインドこそ今後求められていくのだとも思う。

 

ルールを作る

あなたはアップルよりもアップルらしくすることはできない。彼らはゲームのルールを握っているのだ。そしてルールを作っているののを打ち負かすことはできない。あなたは少しだけ良いものを作るだけでなく、ルールを再定義しなくてはいけない。P.153

誰のルールで勝負しているのか、ということを常に考えないといけない。僕らコンサルは、組織の中でルールを作ることから始めることも多い。何事もルールを決める立場が強い。関係者との調整を図る部分もあるが、それでも決める裁量と幅は、ルールを決める側が最も大きい。ルール作りを誰かに委ねている時点で、勝負はみえているのかもしれない。

 

文章力を鍛える

文章力がある人はそれ以上のものを持っている。文章がはっきりしているということは、考え方がはっきりとしているということである。文章家は、コミュニケーションのコツもわかっている。ものごとを他人に理解しやすいようにする。他の人の立場に立って考えられる。彼らは、何をしなくていいかもわかっている。そんな能力こそ必要なはずだ。P.221

同感だ。言語化することはとても思考を刺激してくれる。文章を書く機会を大切にしようと思うし、今後社会に出る人は、ぜひ文章力を鍛えることをおすすめしたい。そのためには、読書して、ブログ書いて、国語の授業を真面目に受けるのが良いと思う。

 

内容も去ることながら、こういう文章を纏めて読むことで、とてもポジティブな要素を自分に取り入れることができる気がする。こんな感覚を。

大きな仕事をするには、他と違ったことをしているという感覚が必要だ。世界にささやかに貢献している、あなたは重要なものの一部である、という感覚だ。P.34

今の日本でモチベーション3.0は実現できるか

プレジデントの調査によると、職場のモチベーションの半分程度を金銭的対価が占めており、ダニエル・ピンクが提唱するような「モチベーション3.0」が根付いていない、という記事があった。

 

この結果は、私が参加して、本誌が、2010年の5月3日号で行った「働きがいのある会社」アンケートの結果であり、「あなたが働くモチベーションは何ですか」という問いに対して、全体で54%が、「給料」だと答えているのである。

 

日本に「モチベーション3.0」が根づかない理由 : プレジデント(プレジデント社)

そこで、「環境退化説」というのが述べられていて、少し面白かった。

そろそろ、「人材退化説」に対して、「環境退化説」へと思考のパターンを移すときではないか。私が最も恐れるのは、今回お見せしたようなデータの背後に、仕事環境の退化が起こっており、その結果として、3.0レベルのモチベータなどはとても望めないと考える人がモチベーション2.0へと回帰している可能性である。

で、その中で環境が退化している、というと自分としてはわかりにくかったんだけど、結局職場自体が保守的になっていて、挑戦するような仕事もないし、そういう雰囲気でもない、という状況が多くの職場で見られている、ということだろうか。

 

そもそも、なぜ多くの理由を給料に求めるのだろう。単純に金銭に余裕がないから、ということも考えられる。実際、平均給与は年々下がっている。


(単位:千円。国税庁 民間給与実態統計調査結果のデータを元に作成)

 

たしか、ダニエル・ピンクも「モチベーション3.0」へ移行するには、「ある程度の所得水準以上が必要」というような言い方をしていたはずだ。先進国はモチベーション3.0へ移行していく、というイメージがあるのかもしれないけど、物事はそんなに単純ではなくて、経済成長がなく、給与が下がり、生活水準が少しずつ落ちていき、この先の将来に希望を感じない日本で、「成長機会を求めるんだ!」という考えを強く抱くのは難しいのかもしれない。

 

会社がお金を稼げないのだから、金銭的に満足のいく待遇を得られる確率も減ってくる。少しずつ年収が減っていけば「この先どうなるんだろうなあ」と思う。そう考えるとやっぱり、企業の成長と個人の成長は近い関係にあるのかもしれない。経済が停滞している国で「モチベーション3.0」を唱えられても、僕は違和感だよ。何となく論点をずらされている気がしてしまう。都会の生活に疲れたから、田舎でゆっくり生活しませんか、みたいな。

だから、モチベーション3.0が正しいのだとすれば、単純に日本はモチベーション2.0から脱却できないぐらい金銭的には困窮というか、マズローのいう「安全の欲求」とか「所属と愛の欲求」とか、そういう自己実現に至る前の欲求が十分に満たされていないんじゃないか、と考える方が個人的には納得感がある。

 

ただ、この円高で日本円はとても高くなっているので、成長著しい国で通用するスキルを持って移住すれば、「モチベーション3.0」は発揮できるのかもしれない。あるいは、日本でもソーシャルゲームの領域とか、市場の伸びが著しいところについては、こういうモチベーション論が有効に働くのかもしれない。

 

今日はこのへんで。

ディスカッションパートナーの重要性

最近、ディスカッションパートナーという言葉をよく使う。

ブレストなどでアイデアを持ち寄るのではなく、誰かに教えてもらう場でもなく、「議論をするため」のパートナーとして、社内の誰かと議論する。議論することで、いろいろ有意義なことがあるんだよね。特に、考えなければいけない事項が多い、複雑な問題なんかは。

 

言語化による論理的欠落や矛盾の発見

脳による思考というのは、良くも悪くも論理的に欠落や矛盾があっても、それを内包した状態で思考できてしまうので、自分だけでは気づきにくい。誰かに話す形で言語化されると、自分が話しながら論理的欠落や矛盾を抱えていることに気づくことがよくある。

 

疑問を呈されると思考が促進される

議論をすることで、双方でいろいろ疑問について「それってどういう意味?」とか「こういう不明点はどういう根拠を用意するの?」みたいな質問が交わされる。こうやって質問が出ることで、そこを思考するようになる。正しい問いを設定することは、とても重要だ。

 

思考の相乗効果が期待できる

ディスカッションパートナーは、当然のことながら自分と同じように考えてくれる。だから、自分ひとりより「考える量」が増える。そして、相手が考えた内容に対してさらに、「その場合はこうなるな」とか新しい発想や疑問が浮かんでくる。議論の場では、そういうことが繰り返されていく。この相乗効果が、短い時間で検討内容の質と量を大きく引き上げることになる。

 

ただ、ディスカッションパートナーには条件が含まれる。当然のことながら、誰でも良いわけではない。少なくとも議題に対して、自分と同等、あるいはそれ以上の知識があり、議論の前提条件を把握していることが望ましい。

「教える・教えてもらう」の関係ではなく、対等に議論をすることで、双方から知恵を効果的にひねり出す。そういう関係が、とても議論を効果的に進めていく。

 

そういう意味では、仕事だけでなくて、いろんな場面でこういうパートナーが必要だなあとも思う。

今日はこのへんで。

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部下は上司に意見をしちゃいけないんですか

なんか、最近こういう系のことばっかり書いてる気がするけど、まいいか。

 

他の会社は知りませんが、なんというかコンサルティング会社にいる人って理屈っぽいというか、議論が好きだったりするんだよね。で、何かミーティングで議論をするときは、結構立場を忘れて意見やアイデアを戦わせていく。

僕はそういう文化というかスタンスが好きだし、議論してアイデアを出して、最終的に良い解決策を導きだしていくことが重要だと思っている。

 

だけど、最近日系企業の人と話したら、「上司に意見するとかありえない」と言われて、正直驚いた。なんかそういうことを聞いたことはあるけど、本当にそういう文化の会社ってあるんだなあ。

 

部下の意見を引き出さなければいけない理由はたくさんある。

上司が考えるエネルギーを省略することができるし、楽できる。それに問題が複雑になるほど、いろんな意見が必要になる。一人で考えられる量というのは知れているので、いろんな角度でいろんな意見を戦わせられる状況を作れる方が、良い結果に導きやすい。

それに、日頃から議論に慣れていると部下が成長する。少しずつ自分の知識を増やして、主張を作れるようになる。そうやって人が育つのを見るのは、いつみても楽しい。

 

でも、日系企業だとそれができない理由があるんだって。聞いた話によると。

大手になれば、本当に「自分で考えられない人」がいて、そういう人たちには意見を求めるよりちゃんと指示した方が全体として効率が良い。

あと、上司が部下の意見を聞き入れる空気がない。「新人はとりあえずしゃべるより手を動かせ」とか、「まだ君には早い」みたいな空気があるんだとか。

 

これを聞いて思ったんだけど、確かに「自分で考えられる人」をイチから育てるのってコストがかかるのかもなあ。一部の人が考えて、マニュアル化して、思考の幅を奪って、作業効率を上げてくれる方が、組織全体としても効率が良いのかなあ。いろんな意見を言う人がいると、纏めるのも大変かもしれないしねえ。

でも、本当にそれで良いんだろうか。日本におけるホワイトカラーの生産性は低いらしい。その原因は、最初の新入社員に対する接し方、教育の仕方にあるんじゃないか、とふと思った昨日。本当のところはどうなんだろ。

 

今日はこれぐらいで。

仕事を円滑に進めるために「責任範囲」を理解する

組織におけるスムーズな仕事の遂行と、「責任範囲」の関係について書こうと思う。

 

上司の責任範囲に関する事項をエスカレーションする

組織の上下関係では、ほとんどの場合部下から上司へ報告する機会がある。仕事の進捗状況や問題・課題の有無などが主なところだろうか。そして、このような場で上司に対して、何を報告するか。逆に、何は報告が不要か。その判断基準になるものは、上司/部下双方の「責任範囲」にあると思っている。

スムーズで効率が良い上下関係というのは、「それぞれの責任範囲が適切に分かれていて、それに従った仕事がなされている状況」を指すのだと思っています。ああ、言葉にするとわかりづらい。

つまり、上司と部下ではもちろん責任範囲は違っていて、例えばチームリーダーとそのメンバーであれば、メンバーは任命されたタスクに対して責任があり、チームリーダーはチーム全体のタスクが品質高く実行されることに責任がある。また、プロジェクト責任者であれば、契約面や金額面、社内の体制などに権限があるので、その点がチームリーダー以下と異なる。

で、例えばメンバーの誰かの仕事が遅れることになると、チーム全体の進捗に関わってくるので、チームリーダーへのエスカレーションが必要になる。だから「タスクが遅れている」という状況は必ず報告が必要になる。だけど、「タスクのやり方がわからない」というような「仕事のやり方」に関することは、責任範囲としては結構グレーゾーンだったりするので、ケースバイケースかもしれない。ここらへんが報告対象の分かれ目になる気がする。

べき論からすれば、タスクそのものの責任はメンバーにあるわけだから、チームリーダーは「知らねえよ、自分で頑張れ」でも良いかもしれないし、「チームリーダーとしてチーム全体を預かる立場だし、優しく教えてあげる」でも正解な気がする。でも、チームリーダーが部下の仕事のやり方まで口に出す場合、「そのタスクの責任」は作業をしている人ではなくなってしまうんじゃないだろうか。そうすると、責任の所在が曖昧になるか、いつまでも責任という自覚を覚えない人間が誕生するか、みたいな状況になってしまう。

まあ厳密な場合を想定して話を進めてしまうけど、組織の仕事がスムーズに遂行されている状態というのは、この場合でいえばメンバーはタスクの遂行に責任を持つので、進捗が遅れる場合や品質に懸念がある場合のみチームリーダーに報告するのが、双方一番コミュニケーション量が少ない。

 

自分や周囲の責任範囲を見極める

前提が長くなっちゃったけど、組織が円滑に遂行していくためには、それぞれの責任範囲がどこまでかをできるだけちゃんと認識することが重要になるわけです。

自分の責任範囲で収まる話は、上司にエスカレーションする必要がないし、上司からみれば「自分の裁量で判断しろよ」ということになる。逆に上司も、部下がやる仕事の責任範囲を圧迫してまで口を出すのは、部下の権限を余分に踏みにじっていることになる」ので、それはそれで注意が必要。

というわけで、自分や自分と関係する人が、何に対してどこまで責任を負っているのか見極めておくと、何を議論して、何を自分で判断すれば良いかが明解で、円滑に事が運びやすい。

 

あえて責任範囲をはみ出した主張をする

やや逆説だけど、責任範囲を自覚した上で、時にはそれをはみ出した発言、行動をすることも必要になる。それにはいくつか意味があって、まず個人で見た場合。いつまでも自分の責任範囲に凝り固まると、ポジションが変わって責任範囲が広くなったときに思考がついていかなくなる。日頃からトレーニングする意味でも、そういう意識をして議論なり発言していきたいもんだ。

あと、時間の流れとともに、ビジネスは変化する。そして組織も変化するし、どんどん前提事項は変わっていく。だから、ずっと同じ仕事の領域をこなせば良いわけでもないし、流動的な責任範囲の境界を、いつでも突破できるような準備や意識が重要かな、と。

 

今日はこれぐらいで。

上司に聞く前に考える3つのこと

コンサル会社に入って今更思うことは、論理的にコミュニケーションする術を叩きこまれたことは、ありがたいことなのかもしれない、ということ。僕が教えられたのは次のこと。

 

1.自分の作業の目的や前提条件を整理すること

一番最初に大切なのは、自分の作業がどういう目的で行われているのか、ちゃんと言葉にして説明できるか、ということだ。これは不思議なもんで、自分でも意外にもよくわかっていないまま作業することがあったりする。(最近はないけど。)

インプットとする情報は何で、成果物は何で、作業期限はいつで。成果物は最終的に誰が見るもので、どういう目的で利用されるものか。ここらへんがちゃんと理解できていれば、理解できていない人よりははるかに生産性が上がる。

上司から見ると、作業をお願いする前に、ここらへんを確認してくれる人が好き。頼もしく感じる。

 

2.可能な限り不明点を埋めること

いわゆるggrks的なこと。ここまでは調べたり考えたりしてわかるけど、ここだけはわからないから教えて、とか。自分の中で不明点をできるだけ狭めて、ピンポイントで質問するようにすることが重要。

上司から見ると、無駄なコミュニケーションを減らしてくれる人が好き。「ここまでは理解できている」という意思表示を最初にできれば、いろいろ双方で質問したりされてりして確認することが減る。無駄なことに浪費している、という感覚自体がストレス。

 

3.自分の意見をつくっておくこと

質問するときに、漠然と「どう思うか」みたいな聞かれ方をすると、「?」となるときがある。どう思うかと言われても、それは前提や求められる内容によるだろ、みたいな。
(そういえば、スポーツの試合後のインタビューでもよくあるよね。「今日の試合の感想をお聞かせください」とか。当たり前のようになってるけど、正直何を聞きたいのかさっぱりわからない、といつも思ってしまう。)

議論に必要なのは根拠。「なぜそう考えるのか」という根拠が必要になる。上司の意見を聞くのは大切かもしれないが、最終的なゴールは良い解決策を導き出すことだ。その目的を達成するための議論が必要だ。

だから、「こういう理由から、自分はこう考える」という主張が必要になる。自信がないかもしれないが、一応つくる。意見をつくると、また自分がそれを根拠とするのが妥当か考えるようになるし、もし自分では気づけなければ、上司が指摘してくれる。これが議論。

上司から見ると、端的に自分の意見を理由を含めて説明してくれる人が好き。思考プロセスをたどることができれば、考え方の癖とか改善が必要な点にも気づくことができる。自分の意見を持たずに聞く人は、「こいつ、どこまで考えてるんだからさっぱりわからん」的なことになってしまう。

 

ここらへんのことは新人の頃から叩き込まれることが当たり前だと思ってたんだけど、違うんだろうか。違う業界で働いたことないからなあ。

ちなみに、論理的なコミュニケーションを基本とするけど、感情は同じぐらい重要視したいと思う今日この頃。やはり論理だけでは割り切れないものがあるし、人のモチベーションや関係性は、感情によって形成される部分が大きいのも事実だと感じることも多い。

 

「逆メンター制度」で組織のコミュニケーションを円滑にする

クーリエジャポン2月号に、面白い制度が書いてあった。逆メンター制度として、ネットサーフィンとか、Facebookの使い方とか、新しいネットサービスのやり方を若手から経営陣などにレクチャーするというものだ。実際に、ジャック・ウェルチがCEOの時代にGEで実施されたらしい。

 

仕事をしていても、上司も年齢が上がるにつれて、新しい技術やサービスについていくのが難しくなっているように見える。もちろんコンサルティングやITの業界に身を置いているからには、そのあたりにもとても敏感でなければならないと思うが。それでも、時代は容赦なく速く進むし、若手の方がその点へのキャッチアップはとても速い。だから、その現実を正面から捉えて、部下が上司にレクチャーする制度を導入すれば良いのだ。

上司が部下に教わる機会があることで、そういう上司から部下への一方的な関係から脱却できる。組織の弊害を防いだり、こうやって管理層とスタッフ間の溝を埋めることは、組織を一体化して、インタグレーション機能を高めていく上でとても重要になる。

 

そもそも、上司が年上とかもう珍しくない訳だし、変なプライドではなく、合理的で組織が円滑に進む制度ならどんどん導入すれば良いじゃん、と本気で思う。

 

¥ 780

縦割り組織を防ぐ方法

会社などの組織がいると、必ず飛び抜けて優秀な人というのはいるもんで、そういう人はすごいスピードで出世というか活躍の場を広げていく。あるいは、入社の段階から職種を分けて採用して、自然と(あるいは意図的に)高度な業務をこなす人材とそうでない人材の階層制が構築されている場合もある。

こういう場合、組織内で階層による対立が生まれて、相互理解どころか連携が全くできずに組織が分断されるリスクが出てくる。情報を共有しようとしない。お互いの仕事の内容がわからない。縦割りの弊害みたいなのが発生してしまう。

これを組織の中でどう解消するか。そのひとつの例を教えてもらった。

 

それはアメリカの海兵隊の話で、海兵隊では下士官が士官候補を養成するのだそうな。下士官は、士官の下の階級に位置付けられるので、いわゆるキャリア/ノンキャリアの関係になる。だから、自分たちが鍛える士官候補は、いずれ自分たちの上司になるわけだ。

こうやって、いずれ上司(部下)になる人と同じ釜の飯を食べる状況が作られることで、時間が経っても対立が生まれづらくなるらしい。指揮命令するときも下士官に対する配慮が生まれるし、現場側も管理層への理解・忠誠につながるんだとか。

 

こういう形で横断的なつながりを強制的に作ることで、組織の分断を防ぐ方法があるんだなーと感心してしまった。社内のイベントだったり、合宿や合同研修だったり、いろんなところで組織をミックスするきっかけはありそうだよね。

#本当かどうかは知らないよ。飲み会で誰かに聞いた話。