郵貯、簡保はユニバーサルサービスにする必要があるか

郵政民営化見直しの基本方針が固まったそうだ。その一部を抜粋。

アゴラ : 「郵政改革の基本方針」に伴う懸念 – 池尾和人
郵政改革の基本方針
 
「郵便、郵便貯金、簡易生命保険の基本的なサービスを全国あまねく公平にかつ利用者本位の簡便な方法により、郵便局で一体的に利用できるようになる。」
 
これを読んで、郵便はともかく、郵貯や簡保はユニバーサルサービスとする必要があるのだろうか、ということを疑問に思った。っていうか、そもそも郵便などのユニバーサルサービスとは、どういう場合に必要なのか、ということがわからなくなったので、調べてみた。そこで、非常にわかりやすく参考になる文献を見つけた。
 
ユニバーサル・ サービス(山重慎二)

 
これを踏まえて、いろいろメモ。
 
郵便は、なぜユニバーサルサービスになる必要があるのか
 
上記の文献を読めば明確で、ネットワーク性が必要であり、かつそれによって、公平性・効率性が得られるサービスである、と理解できる。公平性は、均一料金や均一サービスを得ることであり、効率性とは、多くの人がネットワークに参加することで、提供する側も利用する側もメリットを享受できる、という意味。
 
郵便も、国内や海外のどこでも送れるからこそ、魅力がある。○○市限定、とか、○○県限定、と言われると、限定的なネットワーク自体に魅力を感じないため、提供する側も受ける側もメリットが低下する、ということ。
 
 
ユニバーサルサービスは官営すべきか
 
適しているとはいえ、それは必ずしも官営である必要はない。法律などの規制によって、ユニバーサルサービスを実現する業者を参入させることだって可能。いろいろな仕組みが海外でも導入されている。つまり、官によるコントロールは必要なものの、市場原理を導入することは、必ずしも間違いではない、ということだけは確かなよう。
 
 
郵便貯金や簡易生命保険はユニバーサルサービスにすべきか
 
郵貯や簡保は、上記のユニバーサルサービスの定義からすれば、郵便局が提供する必要はないと思われる。だって、ネットワーク性が必要ないから。全国展開している銀行もあれば、地銀だってある。保険だってそうだ。郵便ネットワークを利用する最もな理由はない。
 
郵貯や簡保は、過疎地や離島などの人たちに対して平等に提供する意義がある、というのがよくとり立たされるが、これを読んですっきりした。
 
この問題に対する経済財政諮問会議の態度は極めて明確である。「郵便貯金等は、国民生活に不可欠なサービスであるが、ほとんど全ての地域において民間金融機関が同様のサービスを提供しているため、現状においては、民間金融機関のない過疎地域等への配慮は必要としても、郵便貯金等のユニーサルサービスを義務づける必要性は乏しいと考えられる。」簡易保険についても同様の説明がなされ、ユニバーサル・サービスの義務づけは必要ないとされる。理論的には、この見解は極めて妥当なものであると思われる。特に理論的な観点からは、郵便貯金や簡易保険は、ネットワーク性の程度が極めて低いので、ある事業者に「ユニバーサル・サービス義務」を課す根拠が乏しいという点を指摘しておきたい。
 
 
というわけで、今回の基本方針は、そもそも郵貯や簡保はなんで郵便局で提供しなければならないのか、明確な理由がすっぽり抜けている気がしてならない。「銀行法、保険業法等に代わる新たな規制を検討する」というのは、民業圧迫にはならないのだろうか。疑問が多い。。。。。

希望を捨てる勇気

池田信夫さんの最新刊。期待して読みましたよ。自分には結構難しいこと書いてあるけど、面白いことが書いてあったのでメモ。
 
 
日本の労働生産性は落ちている
 
マクロ視点で考えたとき、労働生産性が重要になってくる。つまり、投入した人的資本に対して得られるリターンが高いほど、国の経済は成長していることになる。それが、年々低下しており、OECDでも相当低いランクなのだそうだ。
 
これまでも廃れた産業はたくさんあるけれど、そういうときは必ず雇用調整が発生して、労働生産性の低い産業から高い産業へ、人的資本はシフトしてきた。それに一役買っていたのが、国家。国が労働生産性が低く、収益が低い、もしくは雇用自体を確保できない産業に従事する人に対し、雇用が見込まれる産業へシフトする支援をしてきた。
 
 
自分の産業はどれぐらいの労働生産性なのだろう
 
マクロ的視点だけ考えれば、なるほどね、で終わるのだけれど、自分に当てはめてみると改めて考えさせられる。自分の仕事は、果たして労働生産性が高い仕事なのだろうか。正直、ITサービスはよく分からない。ITを使うことによって生産性は向上するのだと思うが、ITサービスを構築・提供すること自体は、それほど高い生産性を実現できてないのではないかと思っている。
 
ゼネコンと同じ多重化階層になっており、コスト削減の圧力を下に受け流し、SIerは存在している。また、プログラム言語なんて日本人じゃなくても書けるし、インドや中国で開発できる昨今では、ITスキルだけではどんどん海外の低コストに引きづられて、下がっていく一方な感覚がある。
 
 
生き残っていく上で何を考えればよいのだろう
 
本著では、「派遣切り」を非難し正社員を増やす戦略を行うと、雇用の柔軟性が失われ、企業は人を採用しづらくなるため、結果的に雇用は増えなくなると説いている。なるほどである。偽装請負など、一部で聞かれるような悪質な待遇と、派遣社員の雇用切りを一律に扱ってはいけないのだろう。
 
これを考えると、今後の社会で生き残っていくには、いつクビになっても大丈夫なように、スキルを磨き、場所や企業を変えても賃金を獲得できる人になることが求められる。もしくは、正社員として企業にしがみついて、仕事ではなく趣味に生きることが良い人生と言われるのだろうか。
 
できるならば、胸を張って仕事をしていたいので、前者でありたいと思う。

ビジネス読解力を伸ばす未来経済入門

最近よく読んでいる、小宮一慶さんの新刊。銀行出身の経営コンサルタントらしく、統計数値などをふんだんに盛り込んだ上で、それを踏まえて世界経済や日本の社会構造について、どういう流れになっているかを考察した一冊。
 
取り扱う対象が幅広く、今後の経済動向を広い視点で捉えるには、読んでおいて損はない。ひとつひとつを取り上げると目新しさは少ないけれど、総合的に世界がどういう方向に進もうとしているかが、よくわかるので、広く浅く理解するにはちょうど良い。この手の本はすぐに情報が劣化するので、読むなら早めが良いだろう。興味がある分野があれば、これをきっかけに他の情報を集めるのも良い。

小宮一慶
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あわせてどうぞ。

都道府県の視点では、教育の高さと所得の高さは因果関係がない

一般的に、高学歴の人は高所得だといわれている。統計的な検証もされているはずだ。この学力テストがそのまま所得の高さに結びつくかといえば、考えてみれば当然だけどそうではない。

それについて、いくつか仮説を考えてみる。以下、個人的な思い込みに近い仮定。

仮定① 中学生までに学力が高い人は、そのまま学力が高い傾向を維持する

 この仮定が成立しない場合は、学力を低下させる何かが、高校以降の生活に要因として存在する、ということになる。進むべき学校が存在しない。存在しても、所得が低いために、高い学力を維持できる環境に身をおけない、等々。実際にいるかもね。

仮定② 学力が高い人は、高い学歴を経る傾向にある

 学歴が高いと言われている高校・大学・大学院に進むとなると、ある程度選択肢が限られる。事実として、全国的に名が知れている大学は、ほとんどが東京に存在するのだ。そうなると、高い学力の人は、高校や大学に進学する際に、地元に残らない可能性が高くなる。

仮定③  高学歴の人は、高所得を維持する傾向にある

 これは、先ほども触れたように、統計的にある程度実証されている。高学歴の人は、高所得を得られる場所を選ぶことになるのだ。それは、県民所得の記事でも書いた通り、圧倒的に東京がずば抜けている。

学力の高い人は東京に吸収されている

上記の乱暴でざっくりした仮定に従うと、地方で育成した学力の高い人は、東京などの都市部に吸収されている、ということになる。これは、プロ野球でいうと、主力選手を移籍金ゼロで引き渡す、という行為になる。
何が言いたいかといえば、地方で高い学力を維持することが、県民所得の向上に結びついていないのではないか、ということ。地方自治の観点からいって、教育に投資対効果が得られているか、ということである。
教育は、最終的な目的は、ハイレベルな人材を育成し、GDPを高めることにある。それが、都道府県単位で見た場合に、ちゃんと自分の都道府県にGDPというリターンがないのではないか、という意味だ。
(都道府県別のGDPに該当する、県民経済計算を参考。学力1位の秋田県は36位。学力ワースト1位の沖縄県は38位。)

 
(引用元:平成18年度県民経済計算)

高い学力を子どもに見つけさせたい方。いずれ、自分の子どもが自分の住んでいる土地を離れる覚悟を持ちましょう。

地方がとりうる戦略は

考えられる戦略は2つある。そのひとつとして、教育水準が高い、という実績から、教育関係の高い人材を積極的に招くことだ。これにより、より高い人材を確保し続けられるとともに、高い教育を受けたい、という人たちをひきつける魅力になるかもしれない。ただ、人口集積の高い産業ではないため、工場を1箇所誘致したら、従業員やその家族を含めて数万人が流入してくる、みたいな即効性のあるインパクトはない。
もうひとつは、人材が東京などの他都道府県に流出した場合は、教育投資を行った都道府県が、東京で稼いだ人からもらった税金を受け取れるシステムにすることだ。地方での教育投資の恩恵を受けた人材を使って、経済効果を得ていると考えると、地方にその恩恵の一部を返還してもおかしくはない。
ふるさと納税は、まさにそういう構造を是正するために考えられた仕組みだ。ただ、これはあくまで納税ではなく、寄付金扱いになるので、厳密な仕組みではなく、地方が人材を積極的に育成し、放出する上でのインセンティブとはいえないが。

結論

自分の住んでいる地域の教育水準が高いことは、喜ばしいことだ。しかし、その先に、高い人材を確保する産業がなければ、その人たちは妥協して収入の低い産業に従事するか、違う場所を求めて去ってしまうだろう。
それが地方の現状であることを認識することだ。教育を受けたその先に何が待っているかをマクロ的視点で考えてみれば、自分の子どもが歩む先が見えてくる。

子どもの教育に最適な地域は?

親になれば、自分の子どもには良い教育を与えたい。頭の良い学校に通わせたい。そう思うのが親心。
自分ももうすぐ親になるわけだが、変な言葉になるが、ある種教育現場に過度な期待をしていないせいか、今のところ不安やこだわりみたいなのはない。今住んでいる場所で、穏やかな空気を吸って成長して欲しいと願う。
 
ただ、気にする人は気にするだろう。というわけで、子どもの学力向上に最も有利な地域というのを考えてみる。考えるインプットは至って簡単。学力テストの全国結果。ちょっと前に発表されたばかり。
 
 
まずは、学力テストとは?
 
正式名称は 全国学力・学習状況調査 。国は、全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から、学力や学習状況を把握・分析する。各教育委員会や学校等が、全国的な状況との関係で、自分たちの教育施策の課題等を把握する。そういう目的から、国立教育政策研究所が主体となって行っている。どれぐらいの頻度で行うかの定義について記載を見つけられなかったけれど、実績を見る限りでは、年1回のようである。平成21年度で3回目。
 
調査実施の費用を見ると、毎年58億円ぐらいを計上している。賛否両論あるみたいだが、理系的な観点でいえば、全員・毎年ではなく、サンプリング・隔年とかで、もっと費用を削っても、同じ程度の分析結果は得られるのではないか?と思う。
(参考:学力テスト
 
もし、自分の学校はちゃんと学力を測りたい、というのであれば、それを親に理解してもらって費用を出してもらうか、もしくは、5年に1回は全学校で、というような実施方法もある。とりあえず、毎年全学校でやるなんて、統計調査としてはおかしい。統計調査だけが目的ではない、という人もいるだろうけれど。
 
(全然関係ないけれど、最近話題のJALの資金不足額は4500億円。こういう比較をしてしまうと、58億円なんて大した額ではない、と錯覚してしまうから不思議だ。)
 
 
何県に住むとうちの子供は学力が高くなるの?
 
学力テストにおける、都道府県別の結果を見てみると、ランキングがはっきり出ている。1位は秋田、2位は福井。ワースト1位は沖縄、ワースト2位は北海道。自分が住んでいる岐阜県は、47都道府県中26位。なので、子どもの教育に熱心な方は、秋田県への移住をおすすめする。
(参考:: 2009年小中「全国学力テスト」都道府県別ランキング(順位)・一覧。E-NEWS)
 
ただし、ここで重要なのはそのときどきのランキングで一喜一憂するのではなくて、ある程度の期間で見たときに、どの程度変動しているか、ということ。学力テストは3回目になるのだけれど、ある程度ランキングに変動がない、というところに、日本社会の硬直性が見えている気がする。
 
しかし、これもまた3年間だけの話なので、もっと長期的に見なければならないけれど。Jリーグみたいに、ある程度の期間で、強いといわれるチームがコロコロ変わるぐらい、激しいランキングの変動を期待したいなあ。
 
 
地方にだって住む魅力はあるのだ
 
ランキングで見たとおり、都市部=高学力でも何でもない、という事実に気がつく。地方に住むことにだって、こういうメリットがあるのだ。ただ、これはまたおかしな社会構造のような気がするけれど。
 
それについては、記事を分けて書く。

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格差社会では、都市に移り住めばいい

アゴラ : 「地域間格差」はもっと拡大すべきだ – 池田信夫を読んで、なるほどとうなってしまった。
 
 
人が移住する理由は受動的
 
岐阜に移り住んでから、ふと、人が移動する理由を考えてみた。この間、都道府県の所得格差を調べてみて思ったが、人が効率を求めるならば、格差を訴える前に、その場所に移り住んで、高い所得の恩恵に預かるのが合理的な行動だ。
 
しかし、現実はそうではない。小さい頃に住んだ場所、実家が近い地域、会社の就職先、転勤先。実際にこうやって書き出してみると、人が住む理由は、結構受動的。

この人口の都市集中が都市と地方の格差を拡大したことは事実ですが、それがなぜ悪いのでしょうか。格差が問題なのは地域ではなく、個人です。いくら村がさびれようと、移動の自由があるのだから、職のある都市に移住すればいい。人口が減って困るのは、村役場の公務員だけです。
アゴラ : 「地域間格差」はもっと拡大すべきだ – 池田信夫

地域間格差が問題視される論理は、そもそも「都市も地域もある程度平等でなければならない」という前提に立っている。それが正しいかどうかを根詰めて議論してもキリがない気がするが、マクロ的視点でみれば、無理やり平等にしなくても、人は良い環境を求めて移動する、ということだ。
 
移住はしたくないけど、良い生活はしたいから税金で助けてください、では成り立たない。郷土愛で残るのも結構だが、資本の効率性を国家的視点から考えると、人を集めてコンパクトな都市を形成し、情報も資産も労働力も集約させることが、「強い都市」の形だろうと思う。これは、実際に東京に住んでみた経験から思うことだ。
 
 
日本の都市は公共投資が低いのか

たとえばロンドンから郊外に出ると、建物がまったくなくなり、田園風景が広がります。これはゾーニングによって都市の境界を決めているからです。ところが日本では、東京からどこまで郊外に行っても、切れ目なく住宅が続きます。これは大規模な戦争を経験しなかったため、城壁としての都市がなく、農村の田畑の上にそのまま家が建ち、スプロール的に都市化したからです。このため薄く広くインフラが必要になり、公共投資の効率が悪い。高速道路や新幹線や光ファイバーを津々浦々まで引く必要はないし、財政的にも不可能です。
アゴラ : 「地域間格差」はもっと拡大すべきだ – 池田信夫

公共投資の効率性については、ちゃんと考えたことがなかったな。言われてみれば、そういうゾーニングは行われていないし、コルビジュエや他の人たちが唱えたような、都市形成の論理についても、日本ではあまり考えられてこなかったイメージがある。
 
ただ、日本も昔は城下町があり、囲いがあり、ヨーロッパとかと同じようにゾーニングが行われていたと思うのだけれど。どこから変化してしまったんだろうか。明治維新の改革からだろうか?それとも戦後の高度経済成長からか?調べてみても面白いかもしれない。
 
 
結論:主体的に住む場所を選ぼう
 
それぞれの人が、いろんな理由があって住む場所に住んでいると思うのだが、資本の制約がある以上は、万人に平等に、とはいかない。田舎で残りたいのであれば、多少の所得の低さや社会インフラの未熟さは、受け入れなければならない。民主主義や資本主義は、完璧な社会システムではないけれど、それに代わるベターな仕組みが開発されていない限りは、この現実は前向きに受け止めるべきである。
 
そういう自分の状況を思ったときに、いろんな事情はあったにせよ、自分は自分の場所で、東京から岐阜の場所に移り住んできた。特に後悔も不満もないし、穏やかな空気ときれいな夕焼けに、心が豊かになる気さえする。
 
自分の人生なのだから、住む場所も自分で選べばいい。

道路公団は民営化したんじゃなかったっけ?

高速道路1000円。少なからず、その恩恵を受けた1人ではあるが、はてさて。道路公団って、民営化したんじゃなかったでしたっけ?なんで、価格設定の権限を国が持ってるんでしょうか?疑問。
 
同じ疑問を持ってる人がいたので、即解決。正解は、国が株式の100%保有者だから。
http://sooda.jp/qa/164266
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090412/trd0904120801001-n1.htm
http://oshiete.sponichi.co.jp/qa4793846.html
 
 
さて、ETC導入とか夜間割引とかを導入して、少しずつサービスの多様性を打ち出してきたようにみえたけれど、この1000円政策は、なにを財源にしてるんでしょう?自分たちで値引き分を補填して返していく?いやいやいや。税金で補填されるらしいですよ。
 
これを調べていていろいろ思い出したけれど、道路公団民営化をする際には、莫大な借金は、自律経営を行うことで、少しずつ返済していく、税金投入はしないって言ってなかったっけ?
 
2年間限定の施策で、その間かかる費用は、5000億円/年らしい。長期もしくは永久に1000円であれば、流通コストの低下にも寄与するとも思うのだが、2年限定ということは、そんな効果も期待できない。本当に、「安くしてあげるから、皆さんおでかけしなよ」ぐらいのレベルでしかない。
 
本当に、こんなお金の使い方で、「1000円になった。ありがたい」と両手挙げて喜んでいいんだろうか。いや、実際1000円になると嬉しいけどもさ。それでも、そういう小さな喜びの先に、1兆円も税金が使われているのかと思うと、虚しさを感じてしまう。

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闘う経済学

竹中平蔵さんの著書。この人は、難しいことを分かりやすく説明することにかけては、本当秀逸。久々に食い入るように読んだ。特に気になったところをメモ。
 
 
政府が公共事業を行っても、経済効果は低いことは証明されている
 
GDPを上げることは、国際競争の中で日本が勝ち抜き、良い生活を享受するために必要なことだが、GDPは数式モデルによって、何をどれぐらい投入すると、いくらぐらいの経済効果(GDPをどの程度押し上げるか)が、検証されているそうだ。
 
そして、政府支出がどの程度GDPに影響を与えるかは、実際のこれまでの数値から、1.2倍程度の効果しかないことがわかっているそうだ(過去は3倍程度)。これは、金融自由化とグローバル化による影響が大きいと思われる。
 
高度経済成長などでは、政府支出がGDPの高い押し上げの一因だったようだが、現在はもう効果がないことが証明されているのだ。だから、バラマキ政策を唱えるような政治家は、本当に時代遅れであると判断すれば良い。波及的に経済効果をもたらすものではないのだ。
 
 
地方分権が必要な理由
 
ものすごくシンプルに説明されているので、なんで地方分権が必要かが理解できた。資本主義・民主主義では、費用と便益はほぼ必ず一致している必要がある。それが、公平である、ということもあるし、費用を負担する人が享受する便益の価値を、ちゃんとチェックするからだ。
 
しかし、税金は違う。支払っている税金のうち、国が6割で地方が4割。そして、税金の支出については、国が4割で地方が6割。つまり、収入と支出が一致しておらず、国から地方にお金を移動させる必要がある。一般的なイメージでは、ここに中央の利権が渦巻いている、と言われている。
 
こういう状態が、国民・地元民の無関心を招き、また国と地方がそれぞれ責任を押し付けあう状態を招いている、ということだ。税収が少ない自治体には、ある程度補填が必要だが、自立と補填のバランスは考えないといけない。どういうバランスが最適なんだろう。
 
 
経済学は政治に対し、役に立つらしい
 
世の中には、その分野では当たり前のことが、一般的なイメージや思い込みで歪曲されて、間違った道理が平気で唱えられたりする。経済だってそうだ。確かに、原理は難しいことも多いのが経済分野だけれど、竹中さんみたいに上手に説明してくれれば、経済が面白く感じる。
 
経済学者が政治家になった、日本では稀有な例であるし、その人の経験が惜しみなく語られているので、読んで損はないかと思う。

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あわせてどうぞ。

地方に住むことは、収入面で損なのか

上京してからわずか3年で地方に帰郷。やはり全然生活スタイルが違う、というのが実感です。
東京では、駐車場代が高いから車なんて贅沢品だったし、持たなくても十分移動は便利でした。それに、買い物だって、近くに店は多くあるし困らない。
 
そういう生活に慣れきってました。
 
しかし、岐阜に戻ってきたら、やはり車は必須。コンビニはかろうじて近くにあるものの、田畑や住宅が多く、店は立ち並ぶほどは存在しない。
 
さて、地方に住むと、東京ほど所得はかかりません。なぜなら、地価が安いから。
これは大きなアドバンテージです。でも、一般的なイメージからすれば、格差社会の中で、地方は疲弊している、と言われています。
 
ただ、本当に金銭的に得をしているかは、不明です。
ここでひとつ統計を見てみましょう。都道府県別の雇用者報酬額です。

雇用者報酬には給料や退職金などのほかに、保険・年金といった企業の社会保障負担も含まれます。県民経済計算で05年度の1人当たり名目雇用者報酬をみると、全都道府県で488万円ですが、もっとも多い東京の638万円に対し、もっとも少ない秋田県では369万円とかなりの開きがあります。また、全国平均を上回っているのは主に都市部の8都府県でそれ以外の39道府県では平均以下になっています。
拡大する所得の地域間格差 – 日経NEEDSで読み解く

県民1人あたりの雇用者報酬額は、1位は東京都で638万円。最下位は秋田県で369万円らしい。大きな開きがありますね。
 
高い報酬を得たければ、3大都市(東京、大阪、名古屋)やその近郊に住むのが良い、ということが統計からは分かります。
高い報酬を得ることだけが人生の全てとは思わないけれど、高い報酬を得る確率は、場所によって異なるということは事実のよう。
 
それにしても、この東京一極集中の構図は、何とかならんものかな。なんでここまで東京だけ所得がずば抜けて上がってしまうのだ?世の中は「フラット化」してるんじゃなかったんだろうか??
 
地方分権や道州制が叫ばれているけれど、それによってこういう構図も変わるのだろうか。

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都道府県別の博物館・美術館数

博物館や美術館が好きだ。
今は岐阜に引っ越してしまったが、東京に住んでたときは、いろんな博物館や美術館が、狭い地域内にたくさんあり、イベント展示も多く行われていたので、よく足を運んだもんだ。
 
しかし、岐阜に引っ越してきて、少なくとも東京ほど近くには美術館や博物館の存在を感じなくなってしまったので、少し寂しい。
 
で、ふと思いついて都道府県別の博物館・美術館の数を調べてみた。すごいね。ちゃんと統計情報として文科省がデータをとっている。
最新が平成17年度のデータになるけれど、都道府県別の数はこんな感じ。

 

(データ元:平成17年度社会教育調査:文部科学省)
 
やっぱり東京がダントツに多い。人口密度が高く、それだけ博物館や美術館に興味を持つ人も多いからだと思われる。
ランキングを見て面白いのは、単純にお金に余裕があったり、人口の多さには必ずしも関連しないこと。
 
長野県が2位と高かったり、日本第2の都市大阪は意外にも12位と低かったりする。確かに、大阪と美術館はあまりイメージとして結びつかない。
 
都市のカラーがこういうところにも出たりする。こういう数値を見ると、地方都市だって、いろんな味があったりするのかも。
自分が望む都市を選べるならば、こういうところも考えていきたいもんだ。