アゴラ : 「地域間格差」はもっと拡大すべきだ – 池田信夫を読んで、なるほどとうなってしまった。
人が移住する理由は受動的
岐阜に移り住んでから、ふと、人が移動する理由を考えてみた。この間、都道府県の所得格差を調べてみて思ったが、人が効率を求めるならば、格差を訴える前に、その場所に移り住んで、高い所得の恩恵に預かるのが合理的な行動だ。
しかし、現実はそうではない。小さい頃に住んだ場所、実家が近い地域、会社の就職先、転勤先。実際にこうやって書き出してみると、人が住む理由は、結構受動的。
この人口の都市集中が都市と地方の格差を拡大したことは事実ですが、それがなぜ悪いのでしょうか。格差が問題なのは地域ではなく、個人です。いくら村がさびれようと、移動の自由があるのだから、職のある都市に移住すればいい。人口が減って困るのは、村役場の公務員だけです。
アゴラ : 「地域間格差」はもっと拡大すべきだ – 池田信夫
地域間格差が問題視される論理は、そもそも「都市も地域もある程度平等でなければならない」という前提に立っている。それが正しいかどうかを根詰めて議論してもキリがない気がするが、マクロ的視点でみれば、無理やり平等にしなくても、人は良い環境を求めて移動する、ということだ。
移住はしたくないけど、良い生活はしたいから税金で助けてください、では成り立たない。郷土愛で残るのも結構だが、資本の効率性を国家的視点から考えると、人を集めてコンパクトな都市を形成し、情報も資産も労働力も集約させることが、「強い都市」の形だろうと思う。これは、実際に東京に住んでみた経験から思うことだ。
日本の都市は公共投資が低いのか
たとえばロンドンから郊外に出ると、建物がまったくなくなり、田園風景が広がります。これはゾーニングによって都市の境界を決めているからです。ところが日本では、東京からどこまで郊外に行っても、切れ目なく住宅が続きます。これは大規模な戦争を経験しなかったため、城壁としての都市がなく、農村の田畑の上にそのまま家が建ち、スプロール的に都市化したからです。このため薄く広くインフラが必要になり、公共投資の効率が悪い。高速道路や新幹線や光ファイバーを津々浦々まで引く必要はないし、財政的にも不可能です。
アゴラ : 「地域間格差」はもっと拡大すべきだ – 池田信夫
公共投資の効率性については、ちゃんと考えたことがなかったな。言われてみれば、そういうゾーニングは行われていないし、コルビジュエや他の人たちが唱えたような、都市形成の論理についても、日本ではあまり考えられてこなかったイメージがある。
ただ、日本も昔は城下町があり、囲いがあり、ヨーロッパとかと同じようにゾーニングが行われていたと思うのだけれど。どこから変化してしまったんだろうか。明治維新の改革からだろうか?それとも戦後の高度経済成長からか?調べてみても面白いかもしれない。
結論:主体的に住む場所を選ぼう
それぞれの人が、いろんな理由があって住む場所に住んでいると思うのだが、資本の制約がある以上は、万人に平等に、とはいかない。田舎で残りたいのであれば、多少の所得の低さや社会インフラの未熟さは、受け入れなければならない。民主主義や資本主義は、完璧な社会システムではないけれど、それに代わるベターな仕組みが開発されていない限りは、この現実は前向きに受け止めるべきである。
そういう自分の状況を思ったときに、いろんな事情はあったにせよ、自分は自分の場所で、東京から岐阜の場所に移り住んできた。特に後悔も不満もないし、穏やかな空気ときれいな夕焼けに、心が豊かになる気さえする。
自分の人生なのだから、住む場所も自分で選べばいい。
都道府県格差を研究されているのなら、お分かりと思いますが、格差の問題というより、東京都が一人勝ちで、愛知県以下46道府県の負けという状態が、問題なのではないでしょうか。
アメリカの各州の裕福度を調べると、何処がトップで何処がビリ、という様な事は有りません。
日本ではほとんど全てで、東京が一番でビリは沖縄です。
しかもそれが霞ヶ関の役人によって、秘密裏に行われて居るとの情報も有ります。
堺屋太一氏が書かれているとの事。
一例を挙げると、大阪に作る予定だった施設を、裏から手を回して、東京に持っていってしまったとか。
又東京キー局5社は、ものすごく優遇されている。関西テレビは処分されるのに、TBSはどれだけ捏造番組を放送してもお咎めなし。
多チャンネルも潰され、電波帯のオークションも潰された。
自由競争による格差は問題ありませんが、作られた格差は是正されるべきと考えます。