ジェネラリストとスペシャリスト

以前酒の席で、会社の組織が変わっていくことに対して、個人はどう適応していくべきか、という議論になった。会社が何を重要視するか、によって組織体系は変わっていくものだと思うけど、ひとつの観点としてジェネラリスト/スペシャリストの偏りというのがあるんじゃないか、と。

 

ジェネラリストを重視すると専門性が失われて、外部の専門とする小さな会社などに負けたりする。すると、「専門性が大切なんだ。スペシャリストを育てる!」となって組織を細分化してスペシャリストを育成する方向へ舵を取る。

だけど、そうなると専門性は高まるものの、横の連携が失われ、視野が狭くなり、内部での対立を起こしたり、総合的なソリューションの提供力が失われていく。すると、「横断的な人材育成が必要なんだ。ジェネラリストを育成する!」となって組織を統合したり人にいろんな部署を経験させてジェネラリストを育成する方向へ舵を取る。

 

ジェネラリストとスペシャリストの両方が大事なのは変わらないけど、常にジェネラリストとスペシャリストの比重が変わっていく。

組織としてはこうやって定期的な揺り戻しが発生するのが合理的だとすると、そこに所属する個人はどう適応していけば良いのだろう。その場での議論では、「その時の組織形態に囚われず、柔軟に能力を適用させていく人間が最終的には強い」という意見があった。時代の流れはどんどん早くなっているし、同じ価値観や組織形態で40年以上もやっていく組織なんてないんじゃないか。そうだとすると、自分が変わっていく適用性が求められていく。

 

だから、組織の形態とか内容に一喜一憂せずに、目の前の仕事からどうやって知識や経験を獲得して、自分の柔軟性を磨いていくかを考えた方が良いんじゃないだろうか。

仕事を早くこなせるようになったら次の考えること

仕事が遅い人の共通項 | Decent Point

確かにこの記事はその通り。仕事が遅いというのは、特に新人の頃というのは成果と直結しやすい。これはこれで大切なんだが、何年か経つと、仕事を早くこなすだけでは付加価値として出しづらくなるときが来る。っていうか、部下なんかを見てると、これが出来始めた頃に次の壁にぶつかる。

それは、自分のやっている作業に「意味」を持たせることができない、ということ。

なんでこの作業をするのか。なんで今こういうことを考えないといけないのか。なんで組織はこういう形であるべきなのか。質問してみると、答えに詰まる。そういう場合は、自分がやっていることの意味を理解したり、自分の中で十分に咀嚼できていなかったりするんだろうな。昔、自分もそうだった。言われた通りの資料を作っていったら、上司からの指摘に全く答えられなくて、「ああ、自分って上辺だけの理解で作業してたんだな」ってすごい恥ずかしい思いをした覚えがある。

 

昔の上司は、パワーポイントの資料のオブジェクトの色にも意味を持たせろ、と言っていた。「なんでこのオブジェクトの色をピンクにするのか」。それぐらい、細かいことにまで意味を持たせることは、物事の整合性を確保したり、目的を見失わない、という点でとても重要なんだと今は思う。

いろんなことに意味づけしていくと、自分が知らないこと、考えなければいけないことにたくさん気づく。ただ、注意しなきゃいけないのは、何も知らない新人の頃からこれをやると、迷走する場合があるのでそのバランスが大事だったりするんだよねー。いや、できる人は最初からできるんだろうけど。人って難しい。

見えない「調整コスト」を考える

めんどくさい人とは「調整コスト」がかかりすぎる人。 – Togetter

が話題になっているみたいなので、「調整コスト」について考える。

この内容自体に反論も異論もないし、まさにその通りだと思う。

 

けど、実際にこういうのをちゃんと意識していない人がいるよね。特に、管理者になりたての人とか、一歩手前の人とか。「調整コスト」というのを全く意識したことがない人とか結構いるんだよ。全然大事じゃない細かいことを気にしたり、自分もやりそうな些細なミスで人をこれでもかと説教したり。(ミスは基本的に良くない。ただ、内容と頻度による。)

 

炎上するプロジェクトとか、メンバーが病気などで倒れてしまって入れ替わりが激しいところは、結構こういう「調整コスト」が膨大な量になっていて、やってもやっても作業が進まない感じになっている。顧客との関係もこじれまくって、ひとつひとつ細かいところまで説明を求められたりする。質問されれば答えるのは当然なんだけど、「ちゃんと説明する」には裏付けの調査をしたり、資料作ったり、内部でそれを決裁とったり、印刷したりなど、それなりの労力が伴うので、面白いように「調整コスト」が膨れ上がっていく。これでますます負のオーラが漂う状態になる。

 

一方で、空気を読んで「調整コスト」を下げよう、という人も結構いたりして、そうなると「言わない」「考えない」という空気が出来上がる。これはこれでまずいんだよね。問題の早期発見が遅れるから。だから、日頃からちょっと調整コストをかけてでも、オープンなスタンスで議論したり情報開示するのは大事だったりするわけです。上と逆説のように聞こえるかもしれないけど、大事なところにはちゃんと調整コストをかけようね、っていうことになる。

で、話が少し飛んじゃうけど、民主主義の制度も同じだと思うんだよね。議会とか選挙とかお金がかかるし、ある種独裁の方が意思決定が速く効率が良い面があると言われるけど、結果として独裁で人が不幸になってきた歴史があるわけなので。だから、多少効率性を下げてでも、民衆が政治を選択する仕組みがないと、独裁を招いて変な方に向かっちゃったり、チェック&バランスが働かなかったりするようになる。

 

 

というわけで、「調整コスト」というのは見えづらいけれど、いろんなところに潜んでいる。そして、「必要な調整コスト」というのがあるから、本質的じゃないムダなことはどんどん排除して、大切なところはちゃんと時間と手間をかけて議論しましょうね。(でも、面倒な人って「調整コスト」に対して自覚がないから、こういうの読んでも何も思わないんだろうな。。。)

組織には理想と現実の両方が必要だ

これを読んで、いろいろ思いましたよ。

 

「虚構の自由度」、そしてその価値 – Chikirinの日記

 

これわかるわ。ただ、組織という意味でいくと、思考のタガを外して新天地を考えることと、現実的な対応としてどういう解決策をひねり出すか、というのは同じくらい重要だと思うし、片方だけだといずれ行き詰まる。

仕事でも、理想論とか新しいアイデアを出していくと、

「で、これどうやるの?」

って言われるし、

現実的な解決策に終始していると、

「せっかくコンサルにカネ払ってるんだから、もっと新しいアイデア出してくれよ」

と言われたりもする。

「どっちなんだよ」というツッコミもたまに感じたりはするけど、組織の状態やフェーズによって求められるモノは違うにしても、組織というのはそれだけ両方とも大切だということだ。

そういえば昔クライアントに「コンサルタントに求めるものは、「Another One」と「Next One」だ。」と言われたことがある。

業務をよく知っているのはクライアント側なのに、わざわざコンサルタントを雇う理由は、自分たちの視野が充分に広くないことを自覚した上で、違う何か(Another One)を提供してもらいたい。そして、内部にいるとしがらみが多かったり、内部論理で発想してしまうので、上手に正しい方向にアクションをとれないことが多い。だから、次にやるべきこと(Next One)を示して欲しい。ってことだったんだと思う。

これはまさに「Another One」が思考のタガを外したアイデアをくれ、ということであり、「Next One」は着実に実行できる「現実解」をくれってことだ。コンサルはどちらかといえば、「絵に描いた餅」を出すことで揶揄されるけど、「絵に描いた餅」というか理想論を語ることが重要な場合もあると思うんだよね。

コンサルタントでも、個人レベルでみるとどちらかが得意な方というのがいるよね。個人的には現実解をひねり出す方が得意な気がします。

リーダーの資質として、似たようなことがこの本にも書いてあったよ。そういえば。

スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション | Synapse Diary

人に提案するときは

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コンサル業というのは、クライアントの代わりに調べ、考えるのが仕事だと思ってます(それだけじゃないけどさ)。なので、その結果を資料に纏めて、クライアントに提示することがほとんどです。

そういうときに、やっておくべきことがいくつかあるので、新人の方とか転職であんまりそういう調整の経験をしたことがない、という方のために書いておく。内容は初心者向け。

複数選択肢を作ったら、リコメンドを示す

いろいろ調査したり検討した結果として、いくつかオプションを提示したりするわけです。そのときに、必ず「どれを推奨するか」を明確にしておくこと。

昔自信満々で何枚にも及ぶ資料を説明して、「選択肢としてはこの3つに絞られます」と言って締めくくった後の、あの何ともいえない空気は忘れようがない。「で?これをどうしろと?」という透明な声が聞こえたよ。

リコメンドを示すときは消去法で絞り込むのではなく「これでなければならない」という理由を示す

これを新人の頃に上司に指摘されたことを今でも忘れていない。

やや込み入った問題に対応するためのアプローチを考えていて、いろいろ理由をこねくりまわし、「この方法とこの方法がダメなんで、推奨はこれですね」という資料を書いたら、「そうじゃなくて、「これじゃなきゃだめだ」っていう理由を書いて」とあっさり突き返された。

確かに、消去法で決められたプランなんて相手に響かないよなーと今思えば2秒で気づくことだけど、必死に資料作ってた新人の頃って、そういうこともわからなかった。子供。

実行できる案を提案する

なんか紙で書いていると、やけに強気になって何でもできるような気がしてしまうから不思議。「あるべきはこうだ」とか語っている間に、いろいろ言いたくなる。だけど、結局絵に書いた餅になるんだよね、そういうのは。

そして、そういうことこそクライアントは気づく。「で?どうやったらこれ実行できるの?」みたいな。実行プランまでセットでつけて提案するか、せめて実行する場合のシミュレーションを内部では済ませておかないとだめだよ。

総括すると、打合せでの相手のリアクションなんかも細かくシミュレートした上で資料を書けってことなんだけど。打合せでボロボロになって帰る途中に上司に、「準備をちゃんとしろ」と一言言われたのは、本当刺さったな。想定問答集なんかもよく作った。

なんか最近の環境は、こういう昔自分が教えられたことを、改めていろんな人に教えなきゃいかんなーという気持ちにさせる。。。。

中途入社の罠

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転職して、成功する人としない人の違いはなんだろうか。

転職なんてどんどん珍しくなってきているし、入れ替わりが激しい業界だったりするので、中途入社の人と仕事する機会が多い。途中から組織に加わる人というのは、それ特有の苦労というか、ギャップに苦しむケースも見受けられる。どうしてそういうことになるんだろうね。

新入社員は組織において個別最適化される

新入社員は、社会人経験がないため、その企業に合わせて個別最適化されてゆく。考え方、言動、会社ルールの熟知が積み重なり、会社における評価軸にフィットさせていくのだ。だから評価されやすい行動に走るし、求められる期待に応えようとする。

盲目的な人材を生んでしまう可能性も孕むものの、組織からみれば最も使いやすい人材を養成できる、という意味で新入社員を確保する重要性は未だ大きい、と思っているのではないか。

中途入社の何が有利/不利か

新入社員と異なり、個別最適化されてないことが有利でもあり、不利でもある。

企業買収と同じで、養成するまでにかける時間を「買っている」のだと思うと、その分キャリアとして通用する部分を求められる厳しさがある。

そして、本質的には組織内に違う「血」を入れることで別の価値を見出していく、カンフル剤的な要素も求められるはずだ。

だから、企業が求める評価軸にすぐにマッチできない可能性がある、という意味で不利でもあるし、企業には余りない要素で、かつ企業内で必要とされる要因があれば、それはとても有利ということになる。

マインドの転換を求められるのが辛い

残念なパターンは2つほどある。ひとつは、そもそも企業が求めるスキルが不足している場合。この場合はもう不幸というしかない。結果が出せず、炎上することも多い。採用リスクのひとつだろう。

もうひとつは、スキルとしては十分なものの、マインドが転換できない。「郷に入りては郷に従う」ではないが、マインドを転換できないと、いつまでも組織の中でいつまでもブレイクスルーできない気がする。

最近ハマった「進撃の巨人」の中で、軍隊に入った新人を厳しく尋問する「入隊儀式」がある。これは、組織で生き残っていくために、これまでの自分を否定させることが目的らしいのだが、「マインドを変える」というのは、それぐらい大変な作業なんだな、と思う。

自分のマインドを変えようと思ったら、心が折れるほどの経験をしたり、自分を素直に否定して新しい要素を受け入れなければいけない。ある程度経験がある人ほど、自分を否定することができず、マインドの転換を図れないような気がする。人の心理というのは、面白くもあり、時に厄介だ。

というわけで、新しい組織にうまく適合できていないと思う人は、自分が抵抗を感じることを受け入れる努力を検討してみると良いかもよ。って、転職もしたことない自分に言われたくもないだろうけれど。

とはいえ、職業柄社内でもプロジェクトが変わると、人も環境もカルチャーも多少なりとも変わるので、その点でどうやって自分を適合させるかは、常に考えてはいたりする。一気に変えるのはしんどいので、少しずつ変えていくのが、ひとつのコツみたいな感じもする。違う人と話し、少しやり方を工夫してみたり、自分とは違う人の話し方を真似してみたり。電気ショックみたいにいきなりバーっと自己否定するんじゃなくて、ゆっくり変える努力をすることが重要なんでないかねえ。

諫山 創¥ 249

会社の文化に染まる

新卒で入社して半年経ったとき、会社の先輩に「お前も半年経って、会社に染まっているし、今後も染まっていく」的なことを言われたことがある。今思うと、「会社という文化に染まると、見方が偏るから気をつけろ」という意味だったんではないかと思う。

あと、「ちきりん×勝間和代」の動画でも、社会人最初の会社というのは、とても大きな影響を与えるということが語られていた。実際そうなんだと思う。

こないだ、コンサルとエンジニアの違いについて書いたけれど、こういうスタンスの違いというのは、何かしらの知識やスキルではなく考え方そのものなのだけれど、こういうものこそ最も身に付けるのに時間がかかるのかもしれない、と最近は思う。

自分もひとつの組織にずっといると、狭い視野になっていたり、他の価値観を受け入れづらくなっているんじゃないかと怖くなる。幸い、コンサルとしていろんな組織の方と仕事をするので、そういう意味ではいろんな組織の文化に触れている。それでも、仕事以外にも外の世界を意識しておかないと、自分が気づかない間に狭い世界で閉じこもってしまっているかもなあ、と思う。

役職が上がって変わることについて考える

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いつか上司が、「役職が上がって、ひとつにかける時間とかお金に制約が出ると、考え方や発想が変わる」ということを言っていた。

確かに組織として役職が上がると、求められる仕事の質も変わってくるし、管理者になれば、いろんなところに参画して、短い時間で結果を出すことも求められる。

つまり、役職の変更という「条件変更」を強制的に作り出すことで、発想を変えることを促していくというわけ。「仕事が人をつくる」というのは、そういう意味でとても正しい。

思い返せば、自分もポジションが変わり、働く場所が変わり、変わるたびに求められる内容も変わり、知識や技術の迅速な向上を求められた気がする。変化がなければそんな風に勉強なんかしなかった気がするし、物事の見方も変わらなかった気がする。そういう意味で、役職や役割を変えることが、人を変えることにつながるんだなあと改めて実感。

朝令暮改を受け入れる

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皆さんは朝令暮改する上司って嫌いですか。

朝令暮改って、結構ダメなイメージで使われるんだけど、仕事をやっていたら間違わないことなんて絶対にない。だから、どんどん早めに修正していくのが良い。

上司の指示で資料作って、いざ持っていくと修正される。「いや、この方がいいからさ」とさらっと言ってきたりする。慣れないうちは苛立ちをぶつけていたりしたが、最近はもうすっかり慣れた。

人間だもの。何回か見なおせば、新しくより良いアイデアが生まれてきてしまうもの。良い内容なのであれば、ポジティブに受け入れた方が、結果的にうまくいくことに、いつぞやか気づいた。

朝令暮改をやりすぎると、手戻りで作業ロスが増えたりするので、上司の言うことはたびたび変わることを前提に組み立てれば、50%とかの早い段階で一度擦り合わせたり、それなりに進め方を工夫するようになると思うんだよね。

そういう空気ができて、相互理解が醸成されている方が、ぎくしゃくもしないし、前向きな気分で最後のクオリティを高めていける。そんなことを、さんざん朝令暮改を喰らったので思ったりした。

組織に新しく加わるときに気にすること3つ

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組織に新しい人が入ってきた。これまでも定期的に入れ替わりがあったので、特に珍しいことでもないけれど。ただ、新しく係わる人とコミュニケーションを進める上では、いくつかやらなければならないことがあるので、そういう点で少し労力が増えるよね。というわけで、新しく組織に入ったとき、入った方も迎える方も意識した方が良いのでは?と思うポイントを書いてみる。

会話がずれたときは言葉の定義を行う

新しい人と会話をするときは、少し苦労をする。お互いを十分に知らないのだから、ある意味当然なのだけれど。

これまでに体験した組織のカルチャーを双方が影響受けているから、同じ事象を指していても名称が違ったり、逆に違う事象を指しているのに名称が同じだったりする。だから、会話をしていて、妙に噛み合わなかったりする機会が増える。

こういう言葉の定義というのは、相互理解を深める上では重要で、少しでも会話にズレを感じたら「この言葉はこういう意味で使っているんだけど、認識合ってますか?」という確認をする。

組織のカルチャーを理解する

組織のカルチャーを理解することが重要。世の中には絶対的に正しいこと、というのは少なくて、大体は人々の価値観に根付いた判断が行われている。その「価値観」を理解していないと、組織がどういう基準で仕事を動かしているのかわからないので、仕事の品質が落ちたり、重要な見落としをしてしまったりする。

組織として重視するポイントがあるし、評価軸もある。そういうことをあまり意識せず、以前と同じような行動をしてしまうと、自分が望まない印象を与えたり、期待したような評価を得られない。(評価を得ることが全てではないとも思うけどね。)

組織に巻かれてはダメだけれど、組織が持っているカルチャー・価値観を理解することはとても重要。

なぜ自分が存在するのかを意識する

新人の頃はこんなこと考えもしなかったけど、最近は新しい仕事が舞い込むと考えることが多いなあ。何を期待されているのか。どういう振る舞いが喜ばれるのか。隣の人と同じことをしたり、周りに「使われる人」ではダメな訳ですよ。

主体的に動くためにも、「なんで自分がここにいるのか」ということを考える。特に入った最初が肝心。自分が意図する振る舞いを行っていけば、周りも「そういう人」と認識していくもんだしね。そうやって、自分で居場所を作っていくもんだと思うわけです。いつでもうまくいくわけではないけど。

いつになっても、新しいところに飛び込むときは「新人」なんだけど、少しずつこういうコツみたいなものをつかんで、成果に結びつけるまでの時間を短くすれば、仕事って楽しいもんだと思える気がするなあ。定期的に新しい刺激に触れていたいし。