「反原発」の不都合な真実

震災から1年が経過して、原発に関していろんな情報が報道されてきた。それでも、社会は今も原発を再稼働するかどうか、将来的に原発を撤廃するのかどうかに揺れている。

この本では、震災後起こった出来事に対していくつかのアンチテーゼが含まれていると思っている。

 

いろんなものに対する不信と、そこからくる漠然とした不安

震災によって政府や電力会社やメディアや専門家の情報が錯綜したり、迷走したりしたので、様々なものを対象に不信が起こり、そして不安感情が高まったと思う。自分もそうだった。

これに対しては、これまでの過去の議論を振り返り、事実を積み重ね、今の現状を認識することから始まる。まず、圧倒的に原子力技術や放射線に関する知識が足らなかったんじゃないだろうか。実際、僕は震災後よくわからなかった。放射線とガンの関係も分からなかったし、少し調べて大人は大した影響がなさそうだと思ったけれど、子供についてはどの程度影響があるのかさっぱりわからなかった。実際に震災地域にいたら、どう判断していただろう。

そのときに重要なのは、政府やマスメディアが信ぴょう性の高い情報を提供することなのだと思うが、それが機能不全になったように感じる。僕らは自分で考え、自分で情報を取得する必要性が高まっているのだと思う。

 

科学神話の限界とリスクの捉え方

科学が万全な答えを出せない、正確にはリスクが「残る」ということについて、うまく整理できていない印象がした。科学は何か明確な答えを出す万能なものではないし、逆に答えが導かれないからといって科学が無能なわけでもない。

しかし、今回は基準値が急に変更になったことに驚いたり、人体への影響に統計や確率が入り込んだために、「リスクゼロでないなら、違う産地の野菜を食べよう」とか、リスクに対して過剰反応と思えるような考えをする人がいた。

低線量被曝の人体への影響のように、複数の要因が混在して因果関係を明確にできなかったり、事例そのものが少なく、分析が難しい事柄についてはどうしても、「リスク○%」というような表現になるのだが、やはり人間は確率やリスクについてうまく事象を捉えるのが苦手なのだろうか。

 

この本を読んでから、改めてこのビルゲイツの動画を見直したが、すごいわかりやすかった。動画の最後の方に原子力発電所の廃棄物処理についても言及されていて、人が作業するような複雑さを取り除く必要があると言っているのが印象的。

都道府県幸福度ランキング

@tsuda のメルマガで知ったんだけど、ブータンのGNHをモデルにして、日本の都道府県幸福度ランキングを法政大学が発表していた。

www.hosei.ac.jp/documents/koho/photo/2011/11/20111110.pdf

 

担当教授は、「日本でいちばん大切にしたい会社」の坂本教授。

評価方法は、「生活・家族部門」「労働・企業部門」「安全・安心部門」「医療・健康部門」で合計40指標を定めた上で、ランキングを得点に変換して、最終的に平均して算出したものだそうだ。

結果は、北陸3県がベスト3という状況。都市部はあまり評価が高くなく、大阪府は最下位になっている。

幸福度1位は福井県、2位は富山県、3位は石川県でした。一方、45位は兵庫県、46位は高知県、47位は大阪府でした。上位は北陸3県が独占しました。
1位は福井、47位は大阪 都道府県別幸福度調査 – はてなブックマークニュース

 

「理不尽な給料」でも書いてあったけど、地価や就労率、子育て環境、実家との共生など、条件によって経済的な裕福さは変わってくるし、都会=裕福ではない一面がある。この結果はそれを表しているんだろう。

今でも東京などの都市部が経済的に稼いで、地方に地方交付税で分配する仕組みがあるし、そういう意味で都市と地方は表裏一体な面もある。こういう指標やランキングには賛否両論がつきものなんだけど、どうせ完璧な指標なんてないのだから、いろんな角度からの指標があるっていうのは良いことなんじゃないかね。

 

過去にロバート・ケネディもGNPという指標の不完全さについて、こうスピーチしている。

Yet the gross national product does not allow for the health of our children, the quality of their education, or the joy of their play. It does not include the beauty of our poetry or the strength of our marriages; the intelligence of our public debate or the integrity of our public officials. It measures neither our wit nor our courage; neither our wisdom nor our learning; neither our compassion nor our devotion to our country; it measures everything, in short, except that which makes life worthwhile. And it tells us everything about America except why we are proud that we are Americans.
Robert F. Kennedy on GNP quote

 

幸せの尺度はいろんな観点から検証されて良いんじゃないかと思う。このランキングは、今後3年ごとに更新されるんだそうだ。

自治体にPPS導入は広まるのか

自治体の電力調達として、PPSが注目されているらしい。

PPSからの電力購入と自治体のコストマネジメント | 社会 | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所

PPSとは「特定規模電気事業者」のことで、地域独占の電力会社ではなく、1995年から始まった電力自由化によって参入した企業のことを指す。下記経産省のページに事業者一覧があり、53社が掲載されているが、実際に電力の小売を手がけているのはその半分程度だそうだ。PPSの電力供給量は、全体の4%程度と言われている。

資源エネルギー庁 施策情報 電力・ガス・熱供給事業政策について 電気事業制度改革 我が国の電気事業制度について 特定規模電気事業者連絡先一覧

知りたい!:新電力人気に落とし穴 供給量わずか3% 希望殺到、価格急騰 PPS模索、東海でも – 毎日jp(毎日新聞)

 

世田谷区がPPS導入で話題になったけれど、PPSはまだ全体からみると供給量が少ない。供給能力が過小のため、安いはずのPPSも値段が向上していたり、供給力そのものが不足していて応札できない、という事例も発生しているんだとか。買い手市場であれば、競争性を導入することでコストを下げることが期待できるのだが、供給量の問題からまだ十分な買い手市場とは言いづらいのだろう。

売り手市場であれば、今後それを機会と捉えて参入する新規事業者が増えて、市場経済のメリットを享受できるようになると思うんだけどね。

 

岐阜県の市町村でも一部導入を検討している。自治体の検討状況の中で、「災害時の復旧に不安」ていくつか書いてあるけど、どういう意味なんだろう。

電力購入先、変化の兆し 県内20市町村PPS予定・検討 - 岐阜新聞 Web

 

今回世田谷区の電力契約を落札したエネットのHPを見ると、電力会社を変えるにあたって特別な設備投資などは不要とのこと。また、万一PPSで電力供給が困難になった場合は、電力会社との補填契約によって契約者には停電などはない状態で電力供給されると書いてある。

弊社の発電設備等に万一のトラブルがあり発電が行えない場合、弊社と電力会社間で事故時補填契約のようなものを締結しており、お客様が停電するなどの影響は一切ない、安定した電力供給がお約束できます。ただし、送電網は電力会社の設備をお借りしていますので、万一、送電網にトラブルがあった際には仮に弊社発電所が正常でもお客様に影響を与える恐れがあります。
電力供給設備|新たなエネルギーの電力会社エネット:ENNET

これを読む限りは、災害によってPPSが電力を供給できなくなった場合は、電力会社が電力供給を行うことが契約で担保できるようにみえる。なので、災害時の復旧リスクもヘッジできるんじゃないのかな。違うのかな。

 

今は契約電力50kW以下の小規模施設にはPPSは導入が認められていないので(これはコンビニ1店舗ぐらいが目安らしい)、PPSが大きく普及するような兆しはまだ小さい。個人がPPSから電力を買ったり、個人が集まってある程度の消費規模を見込んでPPSから買う、ということもできない。(例えばマンション構築時にPPSを想定した送電線の設置をしていればPPS導入は可能。)また、一般家庭は大口契約より相対的に電力料金が高く設定されていると言われている。

今ある制度の参入障壁を減らして、PPSの供給力を高めていくことがまず必要だと思われる。自治体からみれば、PPS導入にあたっては、競争相手が常にいるような競争性が確保されること、安定供給や災害時のリスクヘッジを契約面などで確保することが必要条件になるだろう。今の電力市場では、これらが十分に満たされている状況とは言えないようだ。

それにしても、今回でエネットってすごい知名度上げたんじゃないかな。

自治体名をネーミングライツで売却するとどうなるか

やっぱりこれは触れておかないといけないネタかな。

大阪府の泉佐野市が、自治体名をネーミングライツにすることを検討しているというニュース。まだ検討段階であって、応募しているわけじゃないんだが、結構話題になってるね。

 

泉佐野市の財政事情

泉佐野市は、平成21年度から財政健全化団体に指定されている。財政健全化団体というのは、財政上危ない状態になりつつあり、早急な健全化が必要と判断された団体。泉佐野市以外にも、他に5団体が指定されている。(参照:財政健全化団体 – Wikipedia

関西国際空港の開港による人口増や税収増を見込み、債務を増やしながら投資を行ったが、景気低迷などによって財政が悪化したようだ。

 

自治体のネーミングライツ事情

一時期流行ったけれど、今は少し下火な印象。ただ、自治体も財源確保を行う必要があり、広告収入やネーミングライツなど税以外の財源を増やすのは未だ有効手段のひとつになっている。

球場のような大規模なイベント施設や文化施設は人が名称に触れる機会が多く、またイメージも良いため高額になる傾向にある。味の素スタジアムとか京都会館とか。それ以外にも、森林なんかにもネーミングライツが適用される事例もあるそうだ。企業の環境イメージ向上に寄与するんだろうな。

失敗というか難しい状況もたくさんあって、金額がどうしても企業の景気や経営状態に左右されたり、企業が倒産するリスクがあったり、企業が短期契約を好むため名称がコロコロ変わったり、名称が定着しなかったり、ネーミングライツの募集をかけたものの応札がなかったり。まあ、ネーミングライツを導入するにも考える要素はたくさんある。

 

自治体の名称がネーミングライツで変わったらどうなる

建物のネーミングライツなどは公共施設の処分に該当しないため、議会の議決は不要。しかし、自治体の名称については議決が必要。この場合、広域自治体や管轄省庁の大臣に承認を得る必要はない。市町村合併でも議会の議決で新しい名称を決めているし、ネーミングライツで名称変更する場合も、各自治体の判断に委ねられる。

今回自治体の名称が変わるのだとすると、いろんなところの看板や標識を変える必要があるし、市の名前が使われているあらゆるものの変更が求められる。さらに、これが3年契約とかになると、3年ごとに変更作業が必要になるので結構大変そう。

あと、自治体名にしたい企業というのも、どういう狙いなんだろうか。住民は何となく気持ち悪いかもしれない。どんな名称にも愛着を持っている人はいるけど、市の名前とかになると結構そういうのを気にする人が多そうだし。そういうネガティブなイメージがつくと、それでも命名権を買おうという企業も出てこないんじゃないかな。

 

最近話題の「うどん県」とか「さぬきうどん駅」とか、愛称のレベルなら良いかもしれないけどね。そうなると企業からのお金も入ってこないかもしれないけど。とりあえず、今回のニュースで泉佐野市は財政難であるという現状をアピールすることはできたんじゃないかな。

 

20120401
建物のネーミングライツが公有施設の処分に該当「する」ため、議会の承認が不要と書いたが、該当「しない」が正しいので、修正。

岐阜県の人口減少と流出が進んでいる件について

平成23年の統計情報が出揃い、岐阜県の転入・転出人口については転出人口が上回ったというニュースを見た。気になったので、少し調べてみたところ、転出は平成23年だけの話ではなく、平成10年ぐらいから始まり、平成17年から常態化している。

人口としては転入・転出ともに4~5万人ぐらいの規模になる。一方で、県全体の人口をみると210万人を超えたあたりから減少傾向が顕著になり、現在は207万人ぐらいになる。だから、毎年2%ぐらいの人が県に入ったり出たりしていることになる。

全体の人口が減っていて、転入を転出が上回るということは、県には人口を引き止める要因が少ないということになるんだろう。県外への転出も県外からの転入でも、最も多く占めるのは「職業上の理由」。つまり、仕事が県外にあるから出ていったり、県内に仕事があるから来る人が多い。そう考えると、地域で仕事をつくる、ということが人口の減少を食い止める一番効果的な方法なのかな。

 

あと面白いのは、「住宅事情」で県外から来る人が結構いる。この項目は唯一転出より転入が上回っている。地価が安かったり、岐阜から名古屋へのアクセスは意外に良いので、ベッドタウンとして見直されているのかもしれない(岐阜から名古屋は電車一本で30分かからない)。雇用をつくることももちろん大切だけど、人口が増える要因はそれだけじゃない。街をどう作っていくかという方向性にも拠るんだろうけど、岐阜の場合は名古屋とどう共存していくか、という点も重要な要素かもしれない。

例えばベッドタウンになるんだとすれば、たとえばいろんな教育機関を手厚くしてみるとかどうだろうか。レベルが高いと言われる幼稚園を建ててみるとか。東京にある有名私立の付属校を誘致するとか。魅力がある教育施設が岐阜にあれば、名古屋から移住して、子供に通わせたいと思う人はそれなりにいるんじゃないだろうか。

 

人口の減少はこの先も続くんだろう。街はどう変化してくんだろうな。

理不尽な給料

こんな本を、就活する前に読みたかったな。

どこも完璧な社会というのはないのだろうけど、いろんなところに格差というか理不尽さが含まれていることは、知っておいて損はない。この本を読めば、世の中にはいろんな部分で所得格差があることがわかる。

正社員と非正規雇用とか。
男性と女性とか。
学歴によるヒエラルキーとか。
大企業と中小企業とか。

 

地方に住む場合、どのように所得を高くするか

地理的な制約がないのであれば、大学でいわゆる名門と言われる大学(六大学とか旧帝大)に入って、大企業に入社するのが、未だに合理的な選択になる。すると、今の場合は大学も企業もほとんどが東京に集中している。

では、地方に住む場合はどうするか。地方で所得を高めていくには戦略が必要になるんじゃないか。

一方で沖縄をはじめとする地方都市には、大企業はあまりなく、地元の小規模な商店やサービス業がメインです。イオンやイトーヨーカドーなどの大型ショッピングセンターがあったとしても、地元で雇用されている人は、地域の時給相場で採用されたパートタイマーが中心です。 もちろん地方にも優良企業は存在するものの、周りの賃金相場が低い中で、高い賃金を出すにはかなり勇気が要ります。P.40

地方の場合、都市部と違い大企業の本社機能はなく、子会社や支社、工場がある場合が多い。だから大企業のメイン部分の仕事は存在しない。そして、大企業と中小企業には統計上明確に所得格差が存在している。

だから、地方に住んだまま大企業の高給な仕事に就くのは難しい。すると、医師や税理士など、地方でも企業に属さず稼げそうな資格取得を目指すのもひとつの手段かもしれない。ただ、最近では弁護士や会計士も取得者を政策によって増やしすぎて、あぶれているという笑えない現実もあるのだけれど。

 

実は地方に住んだ方が豊かになれるかもしれない

実は地方の方が豊かに暮らせるかもしれない、という数字もある。

総務省「平成22年家計調査年報」によると、1世帯当たりの実収入トップは福井市。東京都区部の10%以上も高い水準です。P.34

これは、実家が近く、子育てしながらでも共働きが成立しやすかったり、地価が安いため持ち家が入手しやすいという要因が関係している。都市部では実家が近くにないし、子供を育てながら仕事も両立するのはやっぱりとても難しいのだろう。何を優先するか、ということにも拠るけど、世帯の所得という点でみれば、地方が豊かになる可能性もあるのだなあ。

 

それに、こういう調査結果もある。

転職情報サービス「DODA(デューダ)」が2011年3月に発表した調査によると、社員の仕事満足度と企業規模には、ほとんど相関関係が見られませんでした。P.59

大企業だからやりがいのある仕事ができる、というのはあまり信じない方が良いということかね。大企業の方が給料が良いとか、仕事で関わる人が多いので面白いとか、大企業の方がゆくゆくの転職で有利という面はあるのだろうけど。

なので、地方の中小企業でも仕事として満足できるところはあるのかもしれない。有効求人倍率も大企業と中小企業では大きな開きがあるのだし、中小企業で楽しそうな仕事ができそうだと思えれば、それはとても運が良いのかもしれない。

 

今の社会で厄介なのは、一度社会人になってしまうと、このような格差を解消するのが難しい点にあると思っている。最初の就職で失敗すると這い上がれない。だから必死になるのだろうけど、実は入った大学によって勝負の多くは決まっていたりもする。遡っていくと、教育機会とコストの問題になるんだよね。そういう意味で、高校の学費無償は賛成。

とにかく、子供を持つ親も、就職を考える学生も、この本を読んで日本社会の現実は知っておいた方が良いと思う。大学によって就職のハードルは大きく違うし、有利な大学に入ろうと思うと高校から進学校を選択する方が確率は高くなる。地方で暮らしていると、高校ぐらいまでは地元の進学校に行って、そこから上京して大企業に就職というパターンが望ましくなるのかな。地方は高学歴になる人材をどんどん都市部に吸収されているけど、それはそれで個人レベルでは合理的な選択だったりする。地方はそうやって疲弊していくんだろうか。これまでの公共事業による還元はもう意味がないし。優秀な人材が地元にとどまる仕組みがもっと必要な気がしてるんだけど。

「地域主権時代の自治体財務のあり方」で地方債の在り方を考える

【報告書】「地域主権時代の自治体財務のあり方―公的セクターの賃金生産性の向上」

自治体の地方債についての政策提言を読んだ。いろいろ興味深かったのでメモ。いくつか気になったポイントを挙げると、

  • 自治体は安全性の観点から固定金利が多いが、公的事業を行っている民間企業と比較すると、資金調達コストは高い傾向にある。これは、バブル崩壊以降の傾向。
  • 地方債の発行には国の同意が必要であり、地方債は自治体によって金利がほとんど変わらず、かつ国債の1~2%程度高い状態を維持している。これは地方債でありながら政府保証が組み込まれている状態と見ることができる。
  • より柔軟で、かつ低く資金を調達するためにも、事業それぞれに合わせたレベニュー債の導入や、CFOの設定による変動金利の導入、債権の短期間化、コマーシャルペーパーの活用など、資金調達コストを低減してく仕組みが自治体には求められる。

 

地方債の残高は未だ高止まりの状態であり、税収に対して債務が多いというアンバランスな傾向にある。一方で、公共財であるインフラの更新需要がちょうど今高まる時期でもあり、このままでは債務を圧縮するか、あるいはインフラなどの都市事業サービスが削られていくのか、という結果になる。

そういう状態に脱するためにも財政再建が必要であり、地方債の調達コストを下げることは必要な手立てのひとつなんだろう。

 

だけど、どうやったらこういう観点でのガバナンスを市民は求めていけば良いんだろう。というか、そもそも市民はここまで考えないよ。民間でも株式会社の場合、株主がチェックするし、その代わりとして監査役が置かれている。市民の場合、どうすれば良いんだろうか。「毎日生きるだけでも忙しいのに、そんなのみてらんないよ」というのがちょっとした本音だったり。そういうことを代理するためにオンブズマンなんかがいるのだろうし。

オバマ政権が誕生したときに話題になった、公約をチェックする「The Obameter」。久々に覗いたらまだ続いていたよ。こういうのはわかりやすいし、判断基準のひとつにはなる。情報の要点を捉え、わかりやすく伝達するスキルというのは、今後はもっと重要になっていくんだろうな。

 

論文の最後にも書いてあるけれど、間接金融から直接金融へシフトしていくことも、チェックを働かせるひとつの手段なのかもしれない。とりあえず、自分のお金と事業との関係性がもっとわかれば、関心を持つだろう。自分が市町村に払っている税金の額を把握することからスタートだな。。。。

都市および組織の意外な数学的法則

 

これは、都市事業に関する人たちは必見だろう。都市がどういう原理になっているかを、世界中の都市の統計データから法則として導き出している。

結論は至ってシンプルだ。人口が増えるに従って、インフラの利用効率も犯罪率も、あらゆる数値が15%ずつ増加していくのだ。つまり、人口が増えれば増えるほど都市として利用効率が上がっていくとともに、ネガティブな面も上昇してしまうという事実もある、ということだ。

 

これを日本に照らし合わせてみた場合、地方都市はほとんど人口減少に転換している。つまり、都市の効率性を考えると、都市の範囲を狭くして、都市内の人口密度を向上させることが答えになるんじゃないか。だから、郊外にある地方都市も、都市部分を集約していくようになるんだろう。

この世で一番おもしろいミクロ経済学

 

ヨラム・バウマン¥ 1,575

 

マンガで書かれているミクロ経済学。何となく知識があるだけに、これで本当に理解しやすいか、という点は自分ではよくわからん。だけど、入門編としてはとてもわかりやすく纏まっていると思う。

それぞれの個人が合理的に判断したときに、全体から見た場合に最適にはならない場合がある。そのとき、個人がどういう風に行動して、それが個人間でどう作用するか、ということを考えていくのがミクロ経済学。個人が合理的か、というところは行動経済学などで否定されてきているけれど、だからといってミクロ経済学が否定されるわけじゃない。

パレート効率性の説明から、取引の重要性に導かれるストーリーは、それぞれを知ってる自分であっても「ああ、なるほど」と改めて思考がつながった。それぞれの個別の事象の関連性をわかりやすくつないで説明してくれる本というのは、本当価値があると思う。

 

個人のそれぞれの利己的な行動が、全体の観点から最適になる場合とならない場合がある。それをいろんな視点から紐解いて、最適にならない場合はどういう仕組みやルールを導入すれば、最適な方向に転換できるかを考えるのがミクロ経済学だ。こうやって学べるなら、本当経済学は楽しい。

マクロ経済学編も準備中なんだそうだ。楽しみ。

リチャード・ウィルキンソン 「いかに経済格差が社会に支障をきたすか」

絶対的な経済幸福ではなく、国の中での相対的な経済格差が、健康や幸福度に影響を与えている、という話。

この動画の中では、日本は相対的な貧困格差は小さく、寿命は長い国であるとなっている。相対的な格差があると、心理的に悪い方向に向かうのかね。ちょっと前に相対貧困率が話題になっているけど、絶対的な貧困率と相対的な貧困率は、実は両方考える必要があるんだなあ。

競争による原動力が成長やイノベーションを生むと思っているけど、そういう競争原理を働かせながら、どうやって平等感を出すのか、というバランスが大切なのか。