大人げない大人になれ!

成毛 眞¥ 1,000

社会人になって、世の中はとても「自由」だって思い直したことがある。人生とか自分の可能性というものを重く考えすぎていたんだと思うんだが、社会はとてもたくさんのことで溢れているし、楽しいことを追求したって別にいいじゃないか、という感覚を味わった。

でもやはり人の気持ちは窮屈になるときがある。最近は思いつめることも多かったけど、この本でいくらか心が軽くなった。やっぱり自由に生きないとなあ。

創造性が求められる時代

今後は、とんでもなく不確実な世界のなかで、変化に対応するだけでなく、変化を自らが創り出すことが求められる。

こうした状況下においては、単純労働者はおろか、事務的な頭脳労働者でさえも、その価値が半減してしまう。均一な労働力よりも、飛びぬけた創造性に価値の源泉が移行しているからである。P.17

単純な労働力も資本として有効だった時代から、頭脳労働が資本になる時代になり、それも過ぎて今は創造性があるところに、人も金も集まるようになっている。ああ、こういう時代になるととても大変だなーと改めて思ってしまった。でも、事実だとも思う。

勉強はできるけど、創造性がない人なんて、高学歴でもごまんといる。何が認められる要素なのかは十分に考えないといけない。

平凡から脱却する

なぜこのようにするかといえば、権力を持った人の考えは、完璧な独裁者でもない限り、民主主義の論理に沿って部分最適に向かうからである。乱暴に言えば、自らの地位を守るために自然と大衆に迎合していくのだ。P.72

いろんな人の言うこと、特に上司やえらい人の発言というのは、重みがある一方で、年齢を重ねるために固まってしまった「思考の偏り」みたいなのを感じることがある。そういう意味では、権力を持った人の考えを疑ってみるというのは、良い考えだと思うし、みんなが信じる方向と逆に進むという意味で、平凡から脱却できると思う。

そして、日々の細かい行動についても、平凡から脱却するヒントがある。

このように形式的な話し方ばかりしていると、思考や発想までが型にはまり、つまらないものになってくる。話し方は、常にその人の考え方に大きく影響しているのだ。意味不明のカタカナ語を使うたびに、メールでは「お世話になります」と書くたびに、あなたの中からはクリエイティビティが失われていくはずだ。P.97

こういう意識を積み重ねていかないと、自分が何気なくやっている行為が、既に普遍性の罠にはまっている気がしてきちゃうな。

細かいことに捕われない自分になる

大人げなくなるためには、あまり細かいことにこだわったり心を乱されない「鈍感力」が必要になる。

では、自分が鈍感になるためにはどうしたらよいか。月並みな表現だが、それは、より大きな刺激を受けることである。強い刺激を受けると自分が持つ感度の上限と下限が広がっていくから、小さなことでは失敗とも成功とも感じなくなるのである。P.125

いろんな刺激を自分に入れていくことで、少しずつ小さなことにいちいち悩んだりしなくなるのかもなあ。

いろいろ自由に振る舞った方が、人生楽しいし気持ちも楽になる。いろんな可能性を試したくなるよなあ。人生は楽しみ尽くすにはあまりにも短いと、最近は思う。