原発には冷静な感情と議論を

日曜に原発デモが複数箇所で行われたようだ。大手メディアがほとんど触れていないのが不思議。

鎌倉のデモについては、この記事や写真が参考になる。

Refinement — the small photolog in Kamakura 反原発デモ in 鎌倉

Anti-nuclear demonstration in Kamakura, 20110410 – a set on Flickr

原発に対して不安になる気持ちは想像できる。危ない施設が近くにあった場合、そしてそれが後世も残ってしまうことは避けたい。放射性物質という目に見えないものがいつの間にか害を与えているという感覚も、不安を増しているのだろうと思う。自分だって、近くにいれば避難を考えるし、安全な食品を選ぼうとするだろう。原発なんかに頼るより、再生利用可能エネルギーがあるなら、そちらを選びたいとも思うはずだ。しかし、これまで原発の恩恵をうけて、安定した電力が供給されてきて、それが経済活動を支え、快適な生活の一部を担ってきた現実とも向かわなければいけないと思う。

確率論でいえば、原発のこのような事態は、享受できるメリットと比較して受け入れがたいものだろうか。100%安全なことなどこの世にはないわけで、いくらかの確率でリスクを受け入れる必要がある。自動車であっても飛行機であってもそうだし、原発であってもそういう観点からも検証されるべきだと思う。

僕は専門家でも何でもないけれど、こういうデモが不安から来る感情だけではなく、これまでの経緯に対する理解と確率に基づく論理的な主張であることを願う。

そして、斉藤和義が原発を批判する動画をアップしたようだ。

とてつもない日常 : 「ずっとウソだった」に関する私見

メッセージが少し安っぽいし、深みがないとは思う。安易というか。ただ、メディアとは違った存在として、社会へ影響を与えるような人が社会的メッセージを発することは、いろんな人の反応や議論を巻き起こすものなんだと思ったよ。実際、この動画が注目され賛否両論の意見が出てきている。人はだれかと議論して気付かされることがたくさんある。無関心と無知こそが、一番厄介な問題なんじゃないかと最近は思う。

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