作家の高橋源一郎が大学の講座で行った講義の様子を書籍化。全13回プラス補講の1回の構成になっていて、1冊読むことで、講義を受けた感覚になる。
「名文」を書けるようになる方法、というタイトルになっているけど、実際は「名文」とは何か、文章とは何か、言葉とは何かという根源的な問いに対して思考していく。
講義の雰囲気が良い
本の内容とは関係ないが、何とも講義の雰囲気がたまらず良い。先生がいろいろ課題を出したり、生徒に質問をしたりするけど、決して否定をしない。というか、そもそも答えを用意していない。生徒の意見を、基本的には肯定するスタンスであることが、先生と生徒のやり取りでわかる。
その背景にあるのは、絶対的な正解がない「名文」というものは、自分で考えて、感じて近づくものだという主張があるように感じる。そして、この講義では、生徒にそれを考えるよう促しているのだ。
こういう、生徒に考えを促すよう丁寧に導ける先生に、大学時代にもっと出会いたかったと思ってしまった。
時には伝達する情報を削ってみる
自己紹介を書く、という課題の中で、意図的に情報を抑制することで、自分に興味を抱かせることが可能になる、ということを示唆していた。
この場合は、「自分という情報を伝えること」が目的ではなくて、「自分に興味を持ってもらうこと」が最終目的だとすると、自己紹介文は相手の興味をひきつけた時点で役目は終了してるのかもしれない。
あと、人の記憶はそんなに立派ではない。すると、ある程度情報の的を絞ることで、印象を強く残す効果がある。
つまり、文章を書く目的は、「読んでもらう」ことが最終目的ではない場合がある、ということ。というより、大半はその先に何か伝えたいことがあるから書いてるんだろうな、と改めて思う。文章の書き方や情報量は、本当の本当の目的を考えたときに、見えてくるものだ、ということなんだろう。
他にもいろいろ気になったことがあったんだけど、なんとも明確にはわかりづらい。思考の片隅でひっかかる気づきがあるんだけど、それを言葉にしたり明確な主張として昇華するには、自分の中の整理が足りないかもしれない。あるいは、この本にはあまり答えをはっきり書いてないからかも。
どちらにしても、いろいろ気づきを与えてくれるけど、なんともモヤモヤする不思議な本だった。また読み返そうかな。
13日間で「名文」を書けるようになる方法 高橋源一郎(2010/5/7読了)
あとがきに書かれていたように思うが、このタイトルで括弧に括られた名文とは、世間で言うところの名文(文章の達人が書いたような文)とは違っている。自由に書きたい事を書き、自分以外の誰か一人でも「すげえ!」と感じてもらえるような文章は「名文」だ。そこに受講