現代が生きやすいか、生きにくいか本当のところはわかりませんが、今の世相を捉える上で本書はわかりやすく面白いと思います。ライトでさくっと読めるのも、休日に読むのに良い感じです。
佐々木さん(@sasakitoshinao)の本って結構読んでいて、「「当事者」の時代 」とか「キュレーションの時代 」とか「レイヤー化する世界 」とか、時代の感覚やトレンドを掴み、表現される内容に納得感を持ちやすかったりします。
で、今回読んだのが「自分でつくるセーフティネット」。なんかわかりづらいタイトルだなって思いましたが、端的に今後の生き方を提案されていて、同意できる点が多かったです。
「政府や社会、企業が守ってくれる」感が乏しくなっている?
僕は就職したときから終身雇用は崩壊していましたし、「誰かが守ってくれる」感の変化というのはあまり感じていないのかもしれません。なので、本書の前半に書いてある、戦後社会からの変化については、「まあそうなんだろうな」という想像の世界ではありました。ただ、政府の財政は乏しくなり、人口減とともに地域コミュニティの力は乏しくなり、企業が従業員のコミュニティを維持することも少なくなってきているのは間違いないのでしょう。
一方で、インターネットの出現による社会の変化は、まさにリアルタイムで経験してきました。最初は穏やかでギーク的な匂いがしていたインターネットは、いろんな人に広がっていくについて、何か「極端に振れやすいな」と感じる場面が増えてきました。湿原するとすぐに誰かが叩かれたり、ちょっとしたことで個人情報が暴かれたりしています。
そうやって、安心を提供できる力が社会全体で弱くなっていっている、というのが前提となる背景になっています。
「弱いつながり」を維持するコストが小さくなっている
以前から「弱いつながり」というのは、自分にとって新しいアイデアや機会を与えてくれるものだというのは、研究結果なども含めて言われてきたことです。ただ、インターネットやSNSが登場する以前は、「弱いつながり」を維持するのが結構大変だったんじゃないかと思います。
時々、忘れた頃に手紙書いたり、訪問したり、電話したり。でも、コミュニケーション手段に限りがあるので、伝えられる情報に限りがあります。一方で、FacebookなどのSNSは、近況がタイムラインに流れてきて、必要なときはそのままメッセージのやりとりなども行うことができます。SNSの優位性は、「常に近況をおおよそ把握しており、「つながっている」感がずっと維持される」という感覚の特異性にあると思っています。
実際、Facebookを使い始めてから、実際は直接やり取りをやっていない人でも「縁が切れた」「疎遠になった」という感じが自分の中でないですし、何年か経って唐突に連絡してみる、ということも起こっています。不思議なものです。
というわけで、「弱いつながり」を維持するコストは、SNSの登場で劇的に下がったといえるでしょう。それが本書でいう「セーフティネットの役割」を果たすのだと思います。
多様なコミュニケーションツールを使いこなす能力
FacebookやTwitterが巨大でメジャーなSNSになっているのは間違いないですが、一方で、LINEなどクローズドなコミュニケーションが主流になってきているとも感じています。これは、オープンなコミュニケーションだけでは全てが成立するわけではないということ、人にはいろんなコミュニケーションのパターンやニーズが存在するからだと思っています。社会性や時代のトレンドなんかもあるかもしれません。
今後もしばらくはFacebookやTwitterの優位性がすぐに崩れる、ということではないかもしれませんが、クローズドなコミュニケーションツールなど、様々なコミュニケーションツールが登場しては消えていく運命にあります。それらを自分の生活と当てはめて、リスクを見極めつつ上手に付き合っていく必要があるんじゃないかと思っています。
LINEも登場した当時、電話帳データを一斉にアップロードする機能があり、非常に抵抗感がありました。一方で周りを見てみると、そういうリスクを認知していなかったり、アップロードした後で気づいて困ったり、ということもあったのですよね。そういう意味で、ツールやサービスを見極める「リテラシー」は一層求められていくんだと思っています。
お盆も終わり、何か気分を一新しなきゃなって思い始めています。そろそろ頑張るかー。