自分の会社を説明するために必要な4つの情報


by ArtemFinland

ふと思いついたので、メモ。

1.従業員数
 大体の規模が推し量れる。

2.年間の売上高
 従業員数と合わせて考えることにより、業務効率を推し量れる。

3.業界の市場規模
 どの程度の市場規模がある業種なのかを推し量れる。

4.業界におけるマーケットシェア
 自分の会社がどのポジションに位置しているのかを推し量れる。

自分の悪い習慣を改める

ベンジャミン・フランクリンをご存知だろうか。

自分で人生における原則を定め、それについて達成できたかを 毎日紙に記録することで、自分の生活習慣を改めたことで有名だ。 というわけで、真似てみた。 方法は簡単だ。

自分で達成したい項目をExcelに書く。 例えば「朝、遅刻しない」など。 それを3つのステータスに従い、記入する。

 ○:達成
 ×:未達成
 ー:ノーカウント

定性的なものは、主観で結構。「人に優しくする」とかね。 「ノーカウント」があるのは、例えば休日は朝出社しないから、 そういう日はカウントしないため。 これで達成と未達成の数がわかるわけだが、ここで一工夫。

記録開始日から通算で、”○”と”×”の合計のうち、”○”の数が 2/3以上なら青、1/3から2/3なら黄色、1/3以下なら赤を表示する。 (自動で計算し、その数字を基にセルに色を塗るマクロを作成した。)

そうすると、達成率が悪いものが一目瞭然で、「改善しよう」という気になる。
これはコックピット・マネジメントという管理手法で、 この本からヒントを得た。 自己管理法は、自分に合った形にすれば、 ちゃんと効果が得られるはず。

自分の知らない世界を知ろう

友人に「ここに、自分の知らない世界がある。全然違う。」と言われ、比較的影響されやすいので、すぐ買って読んだ。確かに、ここには自分の知らない世界がある。

世間一般から言えば、エリートみたいに言われるのだろうか。全く自分が知らない世界が見えた。詳しくは読んで欲しいが、主にハーバードビジネススクールで学ぶ体験談を書き綴ったブログを編集したものである。

いろいろ考えさせられたが、最後のキャリアについてが一番刺激が強かった。 自分が進むべき方向が見えていなければならない、なんてよくビジネス書に書いてある。でも、一生愛せる仕事に出会うなんて、実は難しいことなのだと、実際仕事してみて強く思う。自分がやりたいことってものを明確に描いて、そこに向かって全力疾走する。でないと、夢なんて達成できないぜ。なんとなくわかるけどさ。そんな簡単に見つからないよ。

でも、そんな深く考えなくてもいいのかもしれない。 「プランド・ハップンスタンス・セオリー(計画的偶発性理論)」なるものが気持ちを 少し和らげてくれる。簡単に言えば、キャリアなどはいろんな偶然があって形成されていく。 だから、目の前に現れた機会を利用し、時にはうまく受け流し、 キャリアを形成していく、という考え方だ。

もうひとつ刺激を受けた言葉が。 「ゴールではなく、プロセスを楽しむ」のだ。 人生は長い。どこかにゴールを設けるのではなく、 今その一瞬を楽しむ方向に自分の心を向けていく。 素敵だな。そういう生き方をしたい。

新しい世界を知る、良い本だ。

ハーバードMBA留学記 資本主義の士官学校にて

PMOの役割とは

IBMのパソコン事業をレノボが買収したときの話。わずか3ヶ月で行われるM&Aの内部の熱気が伝わる。

PMOの役割が描かれているが、PMOの意味を改めて考えさせられた。プロジェクトが円滑に進むように導いていくことがPMOの役割だと思うが、その具体的な導き方が垣間見える。

・全体の、明確な目標を提示する

・プロジェクトを進めるための方向性として、叩き台を提示して促す

・現場に、PMOを利用してもらいやすい体制と空気をつくる

さらに、PMOはプロジェクトマネジメントのナレッジを蓄積する役割も担う。だから、ある程度長期的視野でPMOチームの運営を考える必要もあるかもしれない。

また、組織によって風土も異なり、PMOにどの程度権限を与えるかも、十分考慮する必要がある。強権過ぎると現場から反発を招いたり、煩雑な手続きばかりが増える可能性もあるからだ。この見極めは非常に重要だと思う。

企業統合―あるPCメーカー、成功の舞台裏

金巻 龍一,河合 隆信,丸山 洋,IBMビジネスコンサルティングサービス

参考:

http://www.ciojp.com/contents/?id=00001157;t=0

結果が先か、手段が先か

平野啓一郎公式ブログを読んで、 最近モヤモヤしていた気分がスッキリしたのでポスト。

金儲け本を見たりすると、何か素直に良いと思えない自分がいたりする。しかし、お金に魅力を感じている自分もいる。 お金がないとできないことが多いというのも事実だと思っている。何か、どちらとも割り切れない気持ちの間で揺れ動いていた。

難しいことを書きましたけど、極単純な例で言えば、あまり尊敬できない方法で金持ちになっている人を見る時に、社会が感じる反発の中身は、この人は、今の世の中を、確かに巧みには生きているけど、善く生きてはいない、といったものでしょう。あるいは、イジメを見て見ぬふりをしてやり過ごすというのも、巧みではあるけれど、善くはない生き方だと言えます。

これを読んで思ったが、やっぱり結論は「どちらも正解」なのだ。それだけ今の社会というのは複雑にできていて、生き抜く手段の学習だけでも難しい。結果としてこうなりたい、という気持ちがあるとき、その手段の良否を問わず選択しないと、その域まで達することはできないのだろうか。

全てはキレイごとだけでは済まない。要は自分の生き方なのだ。ただ、今生きている社会がこういう状態なんだと、 平野啓一郎公式ブログは気づかせてくれた。 善い生き方をしたいもんだ。