「知」のソフトウェア

立花 隆¥ 777

「プロフェッショナルの情報術」で紹介されていた、知的生産の古典。読んでみたよ。1984年初版なので、ツールなどは古いんだけど、考え方は古びてないね。

いったい知的情報のインプットに毎日どれだけの時間をさくことができるのか。新聞、雑誌以外のまとまりのある書物を読む時間をどれだけとることができるのか。その時間に自分の読書能力と平均余命をかけ合わせるという簡単な計算で、誰でも自分が残りの一生であと何冊くらいの本が読めそうかはすぐにわかるだろう。相当に読む時間をとっているつもりの人でも、それは驚くほど少ないはずである。P.11

あの立花隆でさえ、インプットに時間が足りないと言っているのだ。自分なんて、本当足らなさすぎるだろう。時間は有限だ。どんどんインプットを続けながら、良質で効果的なインプットをできる仕組みを自分で作らなければいけない。

それは、常に自分でいろんな物事を考える、ということに尽きる。

「いかがですか?」「ご感想をちょっと・・・」と水を向けるだけで、相手が何かまとまりのあることを当然にしゃべってくれる思い込んでいるおめでたいジャーナリストがあまりにも多いのだ。まるでこちらがラジオかテレビのような機械で、「きっかけの一言」というスイッチを入れると、あとは自動的に番組が流れ出てくるものとでも思っているかのようだ。P.123

スポーツ選手への試合後のインタビューとか、本当にインタビュアーのレベルの低さというかワンパターン振りにがっかりする。こういうメディアの状況を知らないうちに受け止めてしまっているとすれば、思考状態がとても危ない。自分で考えて、想像して、仮定を置いて、本当の疑問を探さなくちゃいけない。

そして、それはアウトプットでも同じだ。

文体は個性である。どこかで読んだようなスタイルの文章しか書けない人は、個性をいまだ確立していないか、個性を喪失してしまっているかのどちらかであろう。P.200

本の中では、学生の文章の未熟さに唖然とした、みたいな下りがあるんだけど、文章というのはどれだけ書いたか、ということと、それに対してどれだけフィードバックを受けたか、によると思う。自分の文章が上手いだなんて思わないが、書けば書くほど自分の文体が変わるのが分かる。学生よりも今の方が文章を書いているし、そう考えると、学生時代に文章を書く量というのは、少なかったのかもなあ。

最後にもう一度述べておくが、本書の内容を一言で要約すれば、「自分で自分の方法論を早く発見しなさい」ということである。本書を含めて、人の方法論に惑わされてはならない。P.236

自分の情報収集とかタスク処理の仕組みは、大学時代にコピー用紙の裏にタスクリストを書き始めた頃からスタートしてる。そこからいろいろ考えて、今も少しずつ変化している。この繰り返しをして磨く以外に、ベストな方法にたどり着く方法はないんだろうなあ。