選挙で有名人が当選する2つの理由

愛知・名古屋のトリプル選挙の結果が出た後なので、後だしジャンケンっぽいけれど。その前から書き溜めてたネタを吐き出すだけなので、ご勘弁を。(当選した人どうこうという主旨ではありませんよ。ネタです。)

民衆は、正しく選挙で人を選べているだろうか。最近思うのは、やはりメディアに左右されている部分がまだ多いのではないだろうか。例えば、候補者が出た途端、「ああ、この人が勝つわ」と予想というか確信してしまう。これには、大きく2つの理由があると思う。

ハロー効果

人は、ある人の一部分をその人の全体であると勘違いしてしまう。一部分で良いところがあると、その人が何に関しても良い人だと思い込んでしまうのだ。これをハロー効果という。

例えば、立候補者が好意的にメディアに登場すると、選挙民はその人が良いと思ってしまう。となると、政策の中身というか全体構成はあまり気にせず、心地よいことを叫んでいる人が勝ってしまう可能性もある。

無知のリスク

メディアへの露出量の違いから、候補者に対して獲得している情報量が相対的に異なると、人は情報が多い方を選ぶ。これは、知らないこと自体がリスクであり、より知っている(と思っている)方を選ぶ方が心理的に安心するからだ。

というわけで、ハロー効果と情報量不足による不安から、知名度が高い方が勝つという方程式が導かれてしまう。

必要なのは対立軸の明確化

これを覆すためには、選挙民が正しく政策を理解することにある。これをサポートするのがマニフェストだったはずだが、最近のマニフェストも、心地よい響きが文書化されただけで、選択に影響を与えていないのではなかろうか。

必要なのは、「正しい」対立軸をはっきりさせることだろう。例えば、「減税」と「増税」では対立軸にはならない。どちらか選べといわれたら、「減税」を選ぶに決まっているからだ。「減税」の先にあるのが企業誘致による景気浮揚なのか、地域主権の象徴なのか、公務員改革なのか。よくわからない。

ある対立軸を中心に、それぞれが主張することで差異がわかり、判断できるのであって、会話にならないようなバラバラの主張をされると、結局は上記の理由から有名人が勝ってしまう。候補者が叫ぶ争点は、選挙民にとって正しい選択をできない場合もあるということだ。そういうときこそ、対立軸を設定し直すという意味で、メディアの役割は大きいはず。

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