組織における「衝突」の意味

明るく振舞う – 経営戦略コンサルの洞窟を読んで、組織における「衝突」の意味を考えてみる。
 

多少無駄だと分かっても、無駄だと論戦を張らず、とりあえずやって見せて、話を進めたほうが短時間でクライアントに付加価値がでることもある。

やや大人な対応をしている気もするが、チーム全体が気持ちよく仕事しているほうが明らかにクライアントへの価値が高いと思うようになった。
明るく振舞う – 経営戦略コンサルの洞窟

組織において、無駄だと思う作業がある。そのときに2つの選択が考えられるわけで、ひとつは「従順」で、もうひとつは「衝突」。
 
「従順」の場合は、完全に納得はしないけれど、それを受け入れることで相手の心理的な満足感を得ようとする。これはこれでひとつの正解。思考停止で受け入れてしまう場合もよくある。
 
コンサルタントがやりがちなのは、「衝突」。「あるべき」を振りかざして、上司だろうと顧客だろうと、それは無駄ですよという切り込みを行っていく。ひとつひとつの作業の意味や正当性を疑え、と教え込まれてきたし、正しいことを追求する姿勢を求められているからだ。
 
 
衝突することのコスト
 
あるべき姿を求めるのは正しいが、衝突するにはコストが発生する。それは時間であったり、労力であったり、心理的負担であったり。主張を戦わせることはエネルギーを有する行為であり、またそれによって状況を変えることは、多大なコストを要する。
 
例えば、無駄な作業があったとして、素直にやれば30分で完了するのに、その妥当性を2時間議論するのは、どちらが正しい行為か?という比較を考える必要があるのと思うのだ。お互いが疲弊し、心証を悪化させ、その結果として結局は作業を行う羽目になったりする。
 
そういう観点で考えると、無駄と思う作業であっても、受け流すことにより、時間やメンタルも含めて、トータルコストが小さくなる場合もある。それによって、アウトプットが高まることにもつながる。
 
 
それでも衝突することも必要
 
かといって、衝突を恐れたり回避してもいけない。顧客や組織にとって良いと思うことについては、追求する姿勢はもちろん重要だ。では、どういうときに衝突を選ぶのか。それは、衝突した結果として、その先に大きな結果が得られる見通しがあるとき、である。つまりは、トータルコストで考えた場合に、ちゃんと利益が得られる議論や衝突となるのか、ということを問わなければならない。自分の満足感やエゴだけではいけない、ということだ。

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