昔からすごい不思議だったのが、建設業界の談合がなぜ減らないのか、だった。それをこの本が解決してくれた。「法治国家」であることを疑ってかかることから、この本はスタートする。
談合はなぜなくならなかったのか
最近こそメディアを賑わせなくなったが、新聞を見ると大手ゼネコンが談合による業務停止をよく受けてたりした。
本当不思議に思っていたのだが、社会的に悪いと思われていることが、なぜこんなにメディアで取り上げられているにも係わらず、排除されないのだろうか。
メディアは比較的、単純な論理で動きやすい。この場合は、「談合=悪」。でも、この本を読んではっきり認識したのだが、社会を構成する「仕組み」については、何かしらの理由があって成立しているのだ。
談合は、建設業者の配分調整による共同発展。また、業界全体で一定の品質を担保する役割も担っていたと思う。ただし、一般的に悪の部分と言われている、競争性の排除もある。
大事なのは、ここでメリットを認識し、その扱いも含めて、どのように「仕組み」を変えるか、だ。単純な善悪やゼロサムの話ではないはずなのだ。
「法」と「社会的要請」のズレ
わかりやすいと思ったのは、「社会的要請」と「法」のズレの話。法治国家を目指す国の場合、社会的要請に基づき、法を整備するはず。しかし、法の遵守を尊重するあまり、社会的要請の本質からずれた守り方をしてしまうことがあるのだ。
法の背後にある社会的要請をちゃんと理解することで、柔軟な対応ができるのかもしれない。
メディアのコスト・パフォーマンス
ちょっ と法令遵守とはずれるけれど、メディアのコスト・パフォーマンスについても触れていたので、メモ。「受けそうな」答えありきで 記事を書いてみたり、「政府」という印籠的なものをかざして記事を書くなど、あんまり労力や頭を使う必要のないメディア形成がされている、という意見があ る。
これは、その方がコスト・パフォーマンスが高く、かつ読者にとっても理解しやすいからだ。受け手としてはリテラシーを高めて注意しなければいけない。
というわけで、この国が法治国家ではないのかも、という新たな疑いを持てた。そして、このブログも、本や誰かのアイデアを焼きなおすことで、安直なものになっているな、という違い危惧も書きながら抱いたり。