ぼくらの頭脳の鍛え方

ビジネスインサイトを読んでから、僕の中で教養に対して関心が高まっている。Wikipediaによると、教養の定義は以下の通り書いてある。

一般に、独立した人間が持っているべきと考えられる一定レベルの様々な分野にわたる知識や常識と、古典文学や芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が、品位や人格および、物事に対する理解力や創造力に結びついている状態を指す。

教養 – Wikipedia

要は、自分の専門分野だけでもだめで、幅広い知識と、そこから導かれる造詣が必要になる。もう少し教養というものの理解と関心を高めるために、この本を買った。

 

著者になっている二人が、それぞれ教養として読むべき本をそれぞれ200冊ずつあげているのだが、いろいろ読んでみたくなる。また、ブックリスト以外にも二人の対談も非常に示唆が多く、面白い。

教養は何の役に立つのか

教養が何の役に立つのかは、この本を読めばわかると思う。たくさん役に立つポイントはあると思うけど、自分に様々な観点を含ませることで、強烈なイデオロギーにとらわれず、冷静に物事を見つめられること、という点が非常に良かった。

メディアを見ても、正直何が正しいのかがわかりづらくて、判断が難しいと感じる。だけど、自分で考えて判断していかなきゃいけないこともたくさんある。だから、そういう「自分の中の確かさ」を確立するためには、教養として知識や洞察を蓄積する必要があるんだろう。宗教の話題から、教養の必要性を説かれていたのは、非常に印象的だった。

マルクス主義、キリスト教という毒薬を解毒する力というのが教養ではないでしょうか。P.214

 

教養は失われているのか

著者の二人が共通して述べているのは、最近全体として教養レベルが低下しているということ。学力が落ちているというのは近年ずっと言われているけれど。講演会の例として、以下のコメントが挙げられている。

復活させないといけないのは読書人階級ですね。本読む人っていうのは一つの階級ですから。最近、講演会で講演をしたときに感じることなんですが、十年前と比べて、質疑応答の時間に質問する人が減った。ところが、質疑応答の時間が終わった瞬間に、縁談の前に長蛇の列ができる。人々の間で、個別に聞きたい、情報をシェアしたくない、という意識が強くなっている。P.135

全体として、知識もすぐに役立つものが強く選ばれる傾向にある(自分もその傾向が強いと思うけど)ことから、知識の幅や深さが低下しているのかもしれない。

そして、何より教養が必要な理由は次の点にある。

古典には、知の共通基盤としてに役割があると思います。人と何かについて語り合うときに前提となる知識がないと中身が濃い議論ができないからです。P.220

知識基盤がある程度揃わないと、同じ深みで議論することが難しい、というのはその通りだと思う。そして、深く議論するためには、議論する人たちが皆同じ程度で知識を蓄えておくことが求められるのだ。それは、MBAで学習する経営学でも同じ。経営に関する知識や考え方が同じ程度でないと、議論のレベルが上がらない。

 

というわけで、もっと本を読みましょう。大好きなクーリエ・ジャポンまで教養特集で、ついつい買ってしまった。