ひふみ投信のファンドマネージャーが、経済の観点から歴史を書いた一冊。とても貴重な観点で経済のエッセンスがえぐり出されており、とても興味深くページをめくった。
外向きと内向きのスイング
本の軸にあるのは、神話になぞらえた「ウミヒコ」と「ヤマヒコ」という、海系の開放的な考え方か、山系の閉鎖的な考え方のどちらが日本を支配するかによって、日本という国はスイングしてきた、というものだ。つまり、「ウミヒコ」の場合は貿易など外貨を稼ぐことに注力し、「ヤマヒコ」は国内に投資して内需を拡大することに注力する、という。どちらが良い・悪いではなく、そういう時代が交互にやってきていることを指摘している。
そして、今がまさに開かれる時代にまた振れている。それは、戦後の日本にとっては比較的安定した国際情勢の中で、道路などの国内インフラ投資によって内需を拡大してきたが、それも一巡した感がある。と同時に、中国などアジアの影響力が強くなり、日本もそれに影響された動きになるからだ。特に中国の影響はとても大きい。
さて、海と山の話に戻しますが、日本史は中国という隣人の影響を常に強く受けています。中国が経済的に強くなってくると国を開いて積極的に交流をし、中国が弱くなってきたら国を閉じて内国中心的になり、自国の独特の文化が花を開くという軸の移動を繰り返しています。
そういう流れを読めるかどうか、そしてそれが経済や政策にどう影響するのかを、僕らは考えないといけない。
ポピュリズムは政権衰退の証
歴史をみると、ポピュリズムというのは政権が衰退した証なわけで。それを経済的な観点でも同じことが繰り返し起こっているわけです。
インフラは、維持が大変です。政権の経済力がなくなると、それが放置され建造物の崩壊が始まります。鎌倉時代、江戸時代、そして昭和はヤマヒコの時代に分類できるでしょうが、いずれも国内の整備、特に道路整備に熱心であることが共通します。そしてその末期には、財政難からそうしたインフラが維持できなくなり、批判を集めます。
本当、歴史は繰り返すんだな。そして、内需が伸びなくなって、外に目が向く。こうやって人々の行動が内向きになったり外向きになったりする。
同じように、衰退した政権はこれまでたくさん徳政令を発行してきて、その度に結果として国を疲弊させてきたんだそうな。
八〇〇年前の鎌倉幕府が行った徳政令を、愚かしい政策と多くの人は笑うかもしれません。しかし、このように大衆迎合的な人気取り政策は、政権の力が弱り衰退期になると、日本の歴史に頻繁に登場します。そして大半が失敗して、政策目的を達成できません。さらに自滅行為というべき愚かしい政策が人々を巻き込む可能性があるのです。
これも、現代でもどこかで聞いたような話。
金儲けは汚いという日本の価値観
金儲けをすることはどこか「卑しい」という感覚が、社会の中にはある。本の中で出てきたのは、社会企業家の例だった。
「普通の企業家と社会企業家を分けるのは意味がないのではないかな。企業家はその活動を通じて社会に役立つことをしているよ」。すると学生は「企業家は金儲けを求めるのでなりたくありません。社会企業家になりたいのです」と言うのです。「金儲けは悪い」「会社が良くない存在」と、学生が思い込んでいます。
確かに、社会企業家が注目されていたのは、これまで公共サービスとして事業化が難しいと思われていたことを、新しいアプローチで問題解決しつつ事業を成立させる点にあった。だからといって、社会企業家が一般的な企業家より高邁であるという考え方は違うと思う。
こういう価値観があるから、新しいお金を生み出せるエネルギーが小さくなって、貧しくなっているんじゃないか。お金に関する教育が日本には欠けていると言われているが、こういう価値観が根底にあるからかもしれない。
歴史とは、いろんな見方によって学ぶべきところはたくさんあるんだな。平安時代における貨幣の広がりと荘園制度の崩壊とか、当時の政権が経済をどうやって掌握するのかとか、たくさん面白い洞察があって、面白くって仕方なかった。最後に、希望の言葉で締めくくろう。
一方で厳しい下げ相場のときにも同じようなことが起こります。下落が永遠に続くように思い、投げやりになり、動揺します。しかし相場はいずれ反転します。今ある現実を嘆くよりも、次の「スイング」を考えながら、手を打つほうが賢明なのです。どんな状況でも絶望する必要はありません。