著者が「秋元康」と聞くだけで、何となく身構える感じが漂うが、読んでみるととてもバランスが良い内容で、良い意味で裏切られた。
嫌われてでも、エッジを持て
僕はよく講演会でも話すのだが、人の眼というものは、たとえば走る電車の窓から見える一瞬の風景と同じようなものである。 走っている電車の窓から、裸の女性が見えたとしよう。気がついた人たちは、みんな「ワーッ」と驚きの歓声をあげて見るはずだ。 だが、次の駅で降りてまたそこへ戻って見ようという人はいい。わざわざタクシーを飛ばして見に行こうという人もいないだろう。 どんなに衝撃的な光景であっても、結局は、その程度のものなのだ。
これは、ネット社会になった今は特にそうなのかもしれない。誰かの何かをひとつひとつ気にしていると、自分の精神がもたなくなる。それはネットなどのマスに対してだけではない。
嫌われてもいいのだ。嫌われるということは、個性が何らかの形で放出されているということである。 その個性を嫌いな人がいるということは、反対に好きだと言ってくれる人が必ずいるということである。 恋愛も仕事も、どれだけ自分というものを持ちながら、嫌われる勇気を持っているかということだ。 そこから、人間関係も恋愛も、新しい扉が開くのである。
上司に対しても顧客に対しても、好かれようと思う気持ちが前面に出過ぎると、平均的でありきたりなアイデアしか出なくなる。相手の期待を超えようと思うと、時に相手が反射的に嫌悪感を示す可能性があるものも出す必要がある。わかっていても、なかなか人に嫌われるのは辛い。ただ、それを知っていれば、思い切った発想や行動に結び付けられることもあるだろう。
情報を発見し、取捨選択し、構成する
マスメディアを通じて流される情報や、インターネットで公開されている情報よりも、みんなが情報だと思っていないことに気づくことのほうが、じつは情報としての価値は高いということがある。他の人は情報だと思わずに通り過ごしたり、見過ごしたりしていることを、 「そうなのか」と気づくこと。それが本当の情報なのだ。
本を読んでいると、情報に対する捉え方がいろんな面から書かれている。普段の生活の中から、どうやって気づきを得ていくか。その気づきを一歩深めて、自分の情報に変換していくか。そうやって日々蓄積した情報を、どうやって取捨選択していくか。
こうやって行っている日々の蓄積が、新しい企画に結びついていく。逆にいえば、土壇場で急に出てくるものではなくて、こうやって日々蓄積していくことが、良い発想や研ぎ澄まされたアイデアに結実するのだ。
さらに、勇気を持って情報を捨てることも重要だという。これは、自分という個性を研ぎ澄ます。
となると、人間は大人になればなるほど、 「何を捨てていくか」 「何をしなくていいか」 それを考え実行するのが、テーマになってくる。 それができない人間が、個性のない「幕の内弁当人間」になってしまうし、「帯に短し、たすきに長し」というタイプになってしまうのである。 あれもやりたい、これもできるではなく、そのなかで、 「自分は何を捨てていくか」 ということを考えるべきなのだ。
どうやって情報を捨てていくのか、真剣に考えないといけないんじゃないかと思ってしまった。
あとは、この一文も好きです。本当にビジネスには正解はないと思うし、正解は作るものだと日々思って仕事してます。
どんな発想にも企画にも、正解はない。 したがって、それをいかに「正解」に見せるかどうかが、プレゼンが成功するかしないかの境界線と言えるだろう。
というわけで、仕事に対して新しい風を取り入れたい人は読んでみると良い。