小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫) 童門 冬二 集英社 1996-12-13 |
数年前に読んだとき、いたく感動したことを覚えているんだけど、内容をほとんど忘れてしまっていたので、久しぶりに再読。未曾有の危機にあるような気がする昨今の日本。何か新しい動きを作れる人というのは、どういう要素が必要なのか、改めて考えさせられた。
窮状に瀕している米沢藩の藩主に17歳でなった上杉治憲。藩の財政は縮小されていくのに、武士の人数を全く減らさないから、どんどん藩の財政が悪化し、治憲が藩主になったときは、幕府に藩政を返上しようというところまで話が及んでいた。あまりにも絶望的な状況で、反対者も多い中で改革を断行してく姿は、読んでいて少し気持ち良い。
人の登用の仕方、政策の根幹やビジョンを提示する姿勢、部下や民衆に配慮した人の接し方など、リーダーとしての素養はいくつか挙げられるが、今回読んだときは、「ああ、改革に必要な要素はこれだ」と思った。
結果ではなくプロセスを重視する
改革というと、すぐに「結果」を考えてしまう。しかし、本当に重要なのはそのプロセスなのだと気付かされる。
信頼していた重臣が、改革を素早く進めるためとして汚職に染まり、泣く泣くその処罰を決めるシーンがある。そのときも、時間がかかったとしても正しく行わなければならない、と治憲は述べる。結果を追い求めるあまり、本当に大切なことを見失ってはいけない。
上杉鷹山の場合は、藩の財政再建であり、経済活性であり、ひいては民衆の豊かな生活だった。そういう方向がぶれないよう施策を立て、批判されても反対者が表れても断行したことが、絶望的な藩の財政を立て直す結果につながったのだろう。
昨今はメディアもマスだけでなく多様化し、ステークホルダーも複雑化している。どちらかを立てればどちらかが何か損をする。そういう状況が生まれやすい。「絶対的な正しさ」がないときに、どういうビジョンを持って進むべきか。民衆が望んでいる、世論がこう言っている、というだけでは何か足らない気がする。
民衆に迎合せず、潜在的な要素や方向性を見出し、それをビジョンにし、提示していく姿こそ政治家に求められているような気がした。そういう意味で、政治家というのは本当に大変な仕事だ。
それにしても、上杉鷹山という人は、当時は画期的な考えを持った人だったんだろうな。