R25に夫婦別姓が取り上げられていたので、過去にいろいろ思ったことを、良い機会なので書きとめておく。
「夫婦別姓」慎重派が導入をためらうホントの理由 | R25
姓が変わることはとにかく不便であることは間違いない
結婚して嫁に苗字を変えてもらうことになったが、苗字が変わることによるデメリットがあるのは間違いないな、と思った。
免許やパスポートは当然のこと、クレジットカード、銀行口座、保険、携帯電話、会社手続き、いろいろ変わってしょうがない。ただ、こうやって書き並べてみると、引っ越したときとあまり手続き先の数が変わらないので、これだけで夫婦別姓を唱えるのは難しいのかもしれない。
ただ、仕事をする上で途中で名前が変わることで、不便になるのは間違いないだろう。いろんな相手先に対し変わったことを通知したり、メールアドレスに名前の一部が入っていることも多い。個人名がブランド化していることだってある。周りにも、通称として引き続き旧姓を名乗っている人も珍しくない。
アイデンティティの喪失感
これは自分の奥さんに言われたことで、すごいはっとした記憶がある。自分では気づかない視点だ。
自分の苗字が変わることは、ある種「アイデンティティの喪失」を感じるのだそうだ。長年自分を表現する名称としていた一部が、突然変わるのだから無理もないと思う。(もちろん、望んで苗字を変えたい、抵抗は一切ない、という人もいるのだろうけど。)
「明治以前は、改名なんて珍しくなかった。そういう人たちもアイデンティティが喪失していたのかね?」という質問に対しては、「そういう人たちは自主的に変えてきたから、特に感じなかったんじゃない?」という、これまた新しい意見。これを掘り下げていくと、結構根深い問題が見える。
男性側の苗字に合わせる、という見えない空気
法律上は夫婦のどちらの姓を採用してもいいはずだが、実際は男性側に合わせるのがほとんど。これは、見えないプレッシャーとなっているのかもしれない。
実際自分たちも、婚姻届に出すときにも特に具体的な議論もせず、「まあ、旦那だよね」ぐらいのもんだった。旦那の苗字になるのが嫌なわけではないけれど、見えないプレッシャーを感じ、微妙な割り切れなさを抱えている女性は、案外たくさんいるのかもしれない。
男性は苗字を変えないので、興味や当事者意識がわきづらい。それが議論を停滞させていた原因のひとつなのかもしれない。性別の壁は、こういうところにも存在する。
選択肢を増やす
法律上は好きな方の苗字を選べることになっているが、大半が男性側に合わせることが事実であり、これが男女差別に該当しないか、という観点もある。あるいは、歴史が浅いとはいえ、民法を背景として構成されている今の日本社会という基盤を見直すことにもなるので、そういう国民としての価値観に対する配慮は必要だ。苗字の扱い方は、国によっても違うし、文化的な背景も重要である。
夫婦別姓になると家族の連帯感が失われる、非嫡出子が増える、という危機感を抱く意見も根強いが、家族の連帯感などを理由に、行政が制度をコントロールすることには違和感を覚えるし、非嫡出子が増える、というのも確かな証拠がある意見でもない。単なる「推測」であり「予測」ではない。
結論として、個人的には制度上の選択肢を増やすことが良いのではないか、と思っている。いろんな意見があり、いろんな価値観がある中で、それを強制的に縛る状況をできるだけ取り除くには、それぞれが選べる自由を与えてあげることが、良い制度なのだと思う。戸籍の名称とは別に、公的効力のある名称の登録制度、という折衷案みたいなのも存在するし、各人の状況や価値観によって、選びたいものは変わるだろう。別姓にしたときの子どもの苗字は?など、整備することもあると思うが、実現して欲しいものだ。