経済学からみれば、何事にも理由がある

タイトル通り、日常の中にある疑問を、経済学の観点から紐解いてゆく。しかも小難しい数式や経済理論は抜きで。これが面白い。簡単に言えば、社会のほとんどは費用と便益の観点から考えてみると、ちゃんと理由がある、ということがわかる。

それにしても、この本を読んで思ったのは、「この社会のシステムは意外にうまくできてるな」ということ。アダム・スミスは、個人の利益の追求は、社会全体の利益と必ずしも一致するわけではない」と言ったそうだ。まさに、この社会には、法律なり社会や業界の慣例という、個人の利益の追求による暴走に歯止めをかける仕組みが、いろんなところに存在していることに気づかされる。

となれば、まさに行政の役割って、本当大きなものなんだなーと改めて思ったり。経済の流れが激流のように変わっていく現在では、よりこういった、社会全体を調節するような役割が重要になっていくんだろな。

とにかく、経済学ってこんなにシンプルに考えられるんだって思えるし、雑学ネタとして読んでも面白い一冊。

今の経済構造に気づくために読もう


人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか
水野 和夫
難解である。本の中には数字とグラフが並び、その隙間から経済構造への見解がこぼれ落ちてくるようだ。
それでも、この本が多くの示唆に富む優れた本であることは間違いない。恥ずかしながら、こんな類いの経済書を読んだことはなかった。
今はサブプライム問題を契機に傾き始めたアメリカと、それを取り巻く世界のマネーサプライの仕組みも明らかにしてくれる。
また、近代だけでなく、考慮の対象を古代まで広げ、経済の仕組みがどのように変わってきたかを示してくれる。その中には、現代に当てはまるものもあれば、当てはまらないものもあるのだと気づかされる。
現代の日本社会は二極化しているとよく言われるが、二極化していくその要素は、次のものがある。
・企業がグローバル経済圏であるかどうか
・企業が地方部か都市部か
さらに世界という枠でみれば、英語圏と非英語圏でも実質成長率に二極化が生じているのだそうだ。これはショック。
読み解くのが難しい本ではあるけれども、そこらへんの経済書では得られない気づきが本当に多い。ちゃんと理解し自分のものとするには、あと数回は読まないとだめなんだろうな。

JUGEMテーマ:読書

自分らしく、かつ周りと共に生きてゆく3つのコツ

この本は、30代や40代の人は、あまり読まない方がいいかもしれない。それぐらい、人生に関わる重要な考えが詰まっているし、「もっと若いうちにこうしとけばよかった」みたいなことを感じるかもしれないから。

この本を読んで、今の学校の教育(少なくとも自分が受けた教育)っていうのは面白くないよなーと、改めて思ってしまう。本の中で「協調と同調は違う」という内容があるのだが、まさにこの点が、人間性の面白さを取り除いてしまっている気がする。 (ちなみにYahoo!辞書で調べてみると、同調は「他人の意見・主張などに賛同すること、協調は「利害や立場などの異なるものどうしが協力し合うこと」。)

そうすることで、自然と同一の価値観を植え付けられ、型にはまった人生を歩んでいく(本の中ではこれを、「定置網にかかる」と言っている。的確な表現だな)。こうなってしまうと、人生がつまらなくても、努力の仕方がわからず、状況を打破できないまま無惨に時間だけがすぎてゆく。

というわけで、自分らしく、かつ周りと共に生きてゆくコツ。それは、

  • 群れから一歩外に出てみましょう。大勢が言っていることは間違っているかもしれません。
  • 何でもいいので、新しいことをやってみましょう。失敗したときは、気楽に他人のせいにして、次のことを考えましょう。
  • 他人と自分が違うからといって、共に生きていくことができないわけではありません。むしろ、自分が周囲に貢献できることを考えましょう。そうすれば、おのずと周囲から必要とされます。

ちなみに、前々から思っていたことではあったが、この本が最後の一押しになり、新聞購読をやめた。

何のためにインプットを得ているのか

「知的ストレッチ入門」を読んで、思いを新たにしたことがある。それは「自分は日々何のためにインプットを得ているのか」を考えて、アウトプットにつなげていこう、ということだ。

「読書をする」と言っても、論文を書くために読むのと、娯楽のために小説を読むのとでは、明らかな違いがある。それはインプットの先にアウトプットがあるかないか、である。

思い返せば、日々いろんなインプットを得て、アウトプットにも結びつけず「消費」しているがたくさんある。そういうものがあっても良いと思うが、それでもその違いや自分の中で明確に意識して過ごすことには、無自覚であることと大きな違いがあると思うのだ。

インプットとして得たものは何らかのアウトプットを出す。逆に言えば、アウトプットに結びつくようなインプットを集めることが、結果を出す上で重要なことだと、改めて思った。

 

その他にもいろいろ、知的ストレッチをするための考え方、tipsが実践的な内容でまとめられている。個人的に目新しいものは少なかったけど、入門書としてはよいと思う。

世界の貧困をなくすための50の質問

人のイメージというのは、怖いものだ。最初に刷り込まれたら、なかなか気づかないのだから。

 

貧困の問題はどこにあるのだろう。いろんな理由があって、それは国や地域ごとにも違うのだろう。だけど、大きな原因のひとつが金銭であることは間違いない。

この本を読むと、IMFや世界銀行は、わざと間違った方向に導いているんじゃないかと思ってしまうぐらい、変な状態だ。変な方向に導いている。 完済の見込みがない借金をズルズル引っぱり、「資本の原理」の名の下に、金を絞りとり続ける。

その結果、今では先進国から途上国への援助額より、途上国から先進国への返済額の方が多くなっているのだそうだ。これはどう考えてもおかしい。世界の富は、先進国に集中しているというのに。 (先進国側の道徳心を疑ってしまうけれども)「資本の原理」に身を委ねすぎると、「市場の失敗」を招く、というのがここでも当てはまるのだろう。

「神の手」は完璧ではないことを既に人類は知っているはずなのだから、軌道を修正する仕組みも作れるはずなのだ。本来はそれがIMFや世銀になるはずなのだが、それが先進国の思惑で動いてしまっていて、その背後には市場の大資本がいる。何とも正しい方向への身動きが取りづらい仕組みになってしまってんだなーと、違う意味で感心してしまった。 こうなってしまうと、今のIMFや世銀そのものの仕組みを変えてしまう大改革や新組織が必要なのか?それともNGOや財団を含めた民間組織の力も、世界を変える活力源になれるのだろうか。

 

最初はあっけなく簡単で、やや退屈さを感じるが、後半に進むにつれて貧困の本質があぶり出されている感覚が得られる。

汚職と貧困に、相関性はない

「貧困の終焉」を読んでいて、思ったことをつらつらと書いてみる。貧困国の実情が書いてあったのだが、どう考えても自力解決が難しい。それがありありと伝わってくる。本当に抜け出せないのだ、きっと。読んでいても泥沼にはまったようなどうしようもない感覚を覚える。

ではどうするか。援助を求めるのだ。具体的には、資本や物資を援助してもらう。過去の債務を帳消しにしてもらう。そうやって始めて、貧困脱出・自立の第一歩を歩み始める。

だけど先進国は、貧困国は汚職にまみれていて、どうせ悪徳代官の懐に入るだけだから、援助しない、とくる。約束も守らないし。みたいな。それに対し、ちゃんと意識はしたことはないとしても、潜在意識の中で納得感を持っていた。自分としては。

しかし、この本を読めば、それは表面だけを見た思いこみだと気づく。 発展途上国と言われている国はたくさんあるが、その中でも貧困の程度には差がある。現在は総じて、アジアの方がアフリカより経済は発展しつつあると言えると思うが、汚職撲滅に積極的に取り組んでいるのはアフリカの方なのだそうだ。 ということは、先進国がいい言い訳に使っているだけなんじゃないのかと思ってしまう。自分たちのためにお金を使いたいから。「汚職があるから積極的融資はしない。だけど、過去に貸した微少な金額は、ちゃんと利息を付けて返してね。これ、世界のルールだから。」となっているように思えてしょうがない。

これでは貧困は解消しない。自立だってしない。経済がゼロサムじゃないなんてことは、経済学の最初に学ぶことだ。貧困国だって経済が発展すれば、立派な貿易相手国になりうる。商売の相手になるのだ。貧困国を援助するってことは、そういう可能性を含んでいるのに。

この本では、アフリカの貧困層といわれる農村が、自立の一歩を歩み出すまでに必要な援助の額を試算している。と、同時に、アメリカが近年戦争で使った額もはじき出している。これを比較して考えると、やりきれなくなる。 久々に本当に良い本に出会った。世界の現状も、これから世界が向かう方向についても、経済や政治や個人の精神などいろんな面から示してくれる。ちょっと分厚いけど、後半なんて一気に読んだ。こういう分野に興味がある人は、必ず読んだ方が良いと推奨できるぐらいの良書。

スティグリッツ教授の経済教室

ノーベル賞経済学者の、経済コラム集。

いろんな経済ネタが豊富に取り上げられており、その中から多くの示唆を与えてくれる。IMFの役割、資本経済の特性、 自由貿易の幻想、アメリカの独走などなど。

そのほかにも、ロシアと中国の近年の躍進や、スカンジナビア諸国の社会制度・・・。今、思い出しながら書いていても、 これだけネタを取り上げている。この勢いに任せて、思ったことを書いてみる。

 

資本は経済状況が好調なときに流入し、景気が失速したら流出することは、ずっと前から明白だったはずだ。要するに、資本の移動は景気変動を拡大するのである。

 

世界全体の変化するスピードは、著しく速くなっているとよく言われる。そういう世界で、各国の中央銀行や政府の役割ってなんだろうか。

やはり、数十年前から言われているように、アダム・スミスの「神の手」は市場だけでは作り出せないのだ。そう考えると、過度に資本の移動を促進させる市場に対し、政府や中央銀行が、適切かつ最大幸福を目指す制御を加えてあげないといけない。変化のスピードが増せば、なおさらその役割の重要性は大きくなる。

昔は自分も、公共分野に人生の方向を合わせたことがあるが、紆余曲折があり、今はITコンサルタントとして仕事をしている。でも、こういう本を読んでしまうと、 転職だって未来の視野に含めているし、まだもう少し続く自分の人生を、社会の中のどういうポジションで生きていこうかな、と 改めて考えこんでしまうのだ。

ひとまず、専門家じゃなくても経済の動向を知らないと、変化のスピードにおいていかれる、と焦る一冊。

 

プロジェクト経営のツボ

あーなんでこんなに納得感があるのだろう。 プロジェクト運営の中にひそむ問題を、的確に捉えている気がする。

基本的にはCCPMをプロジェクトに導入することで、 納期遅延、予算オーバーを防ぐためのレクチャー本。 読んで気になった点をいくつか列挙。

●タスクの遅れは、後続のスケジュールに伝播する&早く終わっても、それは伝播しない
●工期短縮は究極のコストダウン
●プロジェクト・マネジメントの日本語訳は「プロジェクト管理」ではなく、「プロジェクト経営」

 → これは結構思い当たるものがある。最近よくPMOという機構を設置するが、そのPMOがうまく機能しなくなる要因を述べている。PMOは「プロジェクト管理」略して「プロ管」なんて呼ばれたりするが、管理手法を考えて、原価管理とか、進捗管理とか管理ばかりを議論することになってしまうのではないか。

本当にそう。リソースの再配分等の「全体最適」を図るのがPMOの役割だと思っているが、このような管理手法に捉われすぎて、作業スコープを自ら縮めてしまっている気がする。適切なネーミングって大事だな、と改めて思う。 ●「このタスクで問題が起こるとしたら、何がある?」 
→ 部下からタスクをあぶりだす聞き方。 昔自分がこのブログに書いた内容と似ていたので驚いた。やはりリスク管理は、上司の重要な役割だ。

要領の良い人こそ、脳の使い方には注意を

昨日のことが、うまく思い出せない。

やらなきゃいけないし、やればなんてことないのに、ついダラダラ先送りしてしまう。 最近の自分の行動を振り返って、そんなことを思っていたが、 ひょっとしたら「脳の使い方」に原因があるのかもしれない。この本を読んでそう思った。

脳も使い方によっては、一部特定の機能がうまく働くなることがあるのだ。これは興味深い。 脳は快楽を求める。だらけようと思えば、どこまでもフニャフニャしてしまうのだ。だから、バランスよく脳を使い、刺激を与え続けることが重要だ。

この本では、家事をすることの有効性を説いている。効率よく家事をこなすことが、ちょうどよい脳の運動になるのだそうだ。 継続的にバランスよく脳を使わないと、自分でも知らないうちに、 社会性を失ったり、記憶力が乏しくなったりして、 自分らしさとか、人間らしさを失うかもしれない。怖いなあ。

とりあえず汚くなった部屋を片付けることから始めようかな。

プレゼン資料を作る人のためのリファレンス

プレゼンテーションの技術」の前シリーズ。

まさにプレゼン資料を作る人のための本。プレゼンに書くチャートは、あくまで伝達手段であり、重要なのは、「何を伝えたいか」というメッセージを明確にすることだ。

5つに分類した使用方法があり、それに適したチャートを作るのだ。チャートのパターンがものすごくたくさん登場して、参考になる。

ネタが豊富に書かれているので、 今後資料を作るときに迷ったら、時々参照しよう。類似書を見かけないので、こういう本は貴重だ。

ついでにこういうのを見つけたので、メモ。結構頭痛いこと書いてありますね。 惰翻 – プレゼンをイカす10のtips