「図書館戦争」を読んで思想を強制することの意味を考える

思想を規制することは、正しいことなのだろうか。

図書館戦争の文庫版を読みましたよ。今更という感じだけれども。話の内容はまあ置いておいて、今回は「思想を取り締まる」ということの危うさについて考えてみる。

有川 浩¥ 700

この本では、「有害図書」というのを厳しく取り締まって、本が自由に読めなくなり、本の値段が高騰したり、図書館しか本の自由が確保できなくなってしまっている。この本の中で起こっていることは極論だとしても、「思想を取り締まる」ということは、とても危険な部分を孕んでいると思うんだよね。

一見「有害なのは規制した方が良いじゃん」と思うんだけど、有害か有害じゃないかなんてよくわからないし。

昔、誰かと「教育」というのはある種の洗脳なんじゃないか、という議論をしたことがある。数学や物理などの学術的知識だけじゃなく、価値観や倫理観、愛国心、郷土愛なるものを教育の現場で育もうとすることは、ある種の「押し付け」の可能性を含んでおり、いろんな感情や思想を持つ自由を奪うという意味で、危険な側面があるということだ。

今の教育がすぐに「洗脳」に直結するとも言わないけれど、右へならえという同質性の価値観だったり、クリエイティビティが苦手だったり、という日本人の特性と言われるような要素形成の一部を、教育は担っている気がしちゃうのも事実。

つまり、良かれと思って規制したりコントロールしたものが、自由な思想のない危うい集団を作る可能性があるということを、忘れてはいけないと思うんだよね。第二次大戦に向かって組織的な価値観を形成したことの反省から、可能な限り思想や心を固定的に植えつけることを否定してきたのが、戦後教育のあゆみと聞いたこともある。

それでも、国家国旗法も制定されてるし、文科省の学習指導要領では「愛国心」を示す言葉が記載されているし、大阪府では教員が国家斉唱時の起立に関する条例も制定されるし、東京都はメディアの表現に規制をかけるし、いろんなところで価値観や思想を規制している場面がある。

文科省/「愛国心」教育前倒し/新学習指導要領 来年度から移行案

文部科学省は二十四日、小中学校の新学習指導要領の一部を来年度から先行実施するための移行措置案を公表しました。「我が国と郷土を愛」する日本人の育成などを目指す「道徳教育」を教育活動全体の「要(かなめ)」と位置付けた「総則」を前倒しで適用するとしています。

大阪教育文化センター | 国旗・国家強制条例に反対する

大阪維新の会は、5月25日、大阪府議会に「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例(案)」を提出した。同条例には、罰則規定はもうけられていないものの、9月には違反者を懲戒免職にする条例案を提出する予定であることとあわせると、教職員が「国歌」斉唱に当たって起立することを罰則をもって強制するものとなっている。

何もかも完全に自由にしろとも思わないけれど、一度規制してしまうと社会にいろんな制約が生まれ、自由が奪われる危うさを孕んでいるんだな、と本を読んで改めて思う。「図書館戦争」の世界というのは、あまりにも馬鹿げたフィクションでもないかもね。(シリーズ全部読もうと思うと、まだまだ時間がかかりそうだな。。。)

メディア規制や有害情報規制の歴史:STOP!今そこにある「漫画・アニメ禁止法案」