「ビッグの終焉」を読んで、今後の大企業や個人に必要なことを考える

ITが登場して以来、いろいろ社会環境が変化しています。それは「あらゆる大きなもの」が崩壊してきている、ということです。

例えば、メディア・企業・政府。マスメディアは、個人ブログやSNSによる情報の伝播と勝負せざるを得なくなりました。大企業は、個人が行うネットショップの価格や独自性と勝負せざるを得なくなりました。政府も、SNSなどから寄せられる意見やムーブメントを無視することができなくなりました。

これらはすなわち、IT技術によって個人の力が増幅されているから起こっているのです。

というわけで、「ビッグの終焉」という本を読み終わりましたので、簡単に思ったことを書いておこうと思います。基本的には海外の事例がほとんどですが、日本でも同じことが起こっています。

大企業が負けてしまう理由

最近だと、ヤマダ電機がネットショップの勢いに押されて、苦戦しています。

ヤマダ電機が赤字転落!ヤマダ電機が苦境に陥った理由 – NAVER まとめ

ヤマダ電機が苦戦しているのはネットショップだけが原因ではないと思いますが、家電量販店に行く人は確実にネットで価格をチェックして交渉に臨みます。ネットショップが安いのは出店コストがないからなので、当然安くしないと買ってくれなくなります。

これもIT技術によってネットショップという業態が成立するようになったことが、そもそもの原因です。本書の中では、こう説明されています。

規模の競争優位は陳腐化している。最小効率規模はどんどん小さくなっている。

事業を始めるための初期投資や、店舗運営などのオペレーションコストが劇的に小さくなったことで、損益分岐点がとても低くなりました。これまでは、大企業などが資本を投入して基盤を作ることで、初めて事業が成立していたようなところ、あるいは大企業が「規模の経済」を働かせて、大きくなることで効率化され、低コストになるという部分がありました。しかし、損益分岐点が下がってしまったことで、規模の経済を追求しなくても事業を運営できるようになったというわけです。

 

それでも「大きなもの」が必要な理由

では、個人や小さな企業でも勝てるようになったなら、大きい企業などの存在は不要か、と言われるとそうでもありません。それは、大きなものが「社会の信用」を形成する上で大きな役割を果たしているからです。

大企業が販売しているものは、品質はそれなりに高いと感じますし、大手メディアの記事は個人ブログよりは高いという感覚があります。そういう「信用」が裏側には存在するのです。メディアや企業や政府が小さくなると、こういう信用を形成する力が弱くなるリスクはあります。

メディアの例だと、個人ブログも多くはマスメディアの記事を参照したり引用しており、マスメディアの存在がないと個人ブログも成立しないものの、結局マスメディアが弱ってきているという矛盾のような状態です。

 

これからの社会はどうなるのか

大きな存在と小さな存在のパワーバランスは、今後も変化していくでしょう。大きな存在と小さな存在は、それぞれどう生き残っていくんでしょうか。

本書の中では、「大きなものがソーシャルの力を取り込む」ことが、ひとつのアプローチとして提示されています。民衆の声を集め、分析し、企業の戦略や政府の政策に活用する。そういう折衷的なところが現時点での落とし所だと感じます。あとは、大企業が勝てるフィールドが変わっているので、ネットがあったとしても「規模の経済」が有効なところを探すか、というところですかね。クラウド事業者などはまさにそういう部分になっています。

個人や小さい企業は、大企業がこれまで獲得していたフィールドに攻め込んだり、新しい分野を切り開いています。今後は、いかに自らの信用を形成するかを考える必要があるでしょう。政府の管理や大企業の取り組みによって形成されていた信用は、一部なくなっていくかもしれません。一個人や一企業が、どうやって社会から信頼を得ていくのかは、常に考えなければいけなくなっていると思います。

 

ラジオやテレビが登場したときも、今と同じようにあらゆる社会的な仕組みが変化したんでしょうかね。そう考えると、そういうレベルで政治も、企業経営も、社会を構成するいろんなところが変わっていくんだと思います。一度大きな資本へ向かったエネルギーは、小さいものへ分散していくんでしょう。日本でも地方が再燃したり、小さな企業が盛り上がるといいなと思います。

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