風間フロンターレにみる、組織における自由と規律の問題

今Jリーグでは風間監督率いる川崎フロンターレが注目されている。昨年4月から就任して2年目になるが、これといった結果が数字上は出ていない。

 

風間フロンターレに対する評価

そして、これに対する評価というのが人それぞれ分かれているのが面白い。

昨年の4月に風間八宏監督が就任したとき、「川崎はなにかやるのでは」という期待感を持ったものだが、残念ながら今シーズンはなにも伝わってこない。ただ感じられるのは選手たちの戸惑いだ。確かに僕自身、川崎の試合のすべてを見ているわけではない。生で見たのは、今シーズン3試合目だったのだが、それでも選手たちが自信を失っていくのが伝わってくる。

低迷川崎に見る「自由」の難しさ 監督の戦術に戸惑う選手 – 47NEWS(よんななニュース)

そりゃ、結果が出ていないプロの世界では、こういう評価になると監督更迭という話も出てくるだろう。その一方で、更迭にならないのではという見方もある。それは、長期的に勝てるチームを作っている、という見方からだ。

思うように結果が出ない川崎は立て直せるのだろうか。この問いに対し「簡単ではない」と答えたい。ただし、この言葉からは悲観的な意味は排除してある。風間監督ははぐらかすが、いくつかの状況証拠から、チーム作りをする上で監督が選手たちを大人として扱い、自律して戦えるチームを作っているのは確実だ。自律して戦えるチームとは、試合で目の前の状況に能動的に対処し、プロとして生活を律することができる集団のことである。

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つまり、結果が出ていないのは新しい組織を作っているからであり、これまでとは大きく違う組織を作り上げるのには時間がかかるものだ、という見方だ。

こういう話はサッカーの現場ではいろいろあるようで、日本代表でもトルシエの規律主義とジーコの自由主義が対比として語られることもある。昔読んだ岡田監督の講演でも、も横浜Fマリノスを率いていたときのコメントに同じようなことがあった。

ど真ん中が空いていたら、ど真ん中に行くのが一番いいんですよ。ところが、「監督の言う通りやったら勝つ」とみんな思ったら、何も考えずにサイドに出すようになった。そういう選手たちを見ていて、「俺は本当の指導者なのかな。こういう指導でいいのかな」と勝っても勝ってもずっとどこかに引っかかっていました。

横浜F・マリノスの1年目(2003年)は年間王者になりました。それで2年目(2004年)は「もういいや、こういうやり方は。お前らちょっと自由にやってみろ」と言ったところ、開幕から1分2敗でクビになりそうになりました。「これはマズイな」と思って、選手に「悪かった。もう1回やり方をもとに戻す。今からでも間に合うかどうかは分からないけど」と言ったら間に合っちゃったんですよ。2年目も優勝したんです。

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自由と規律のバランスは難しい

僕はサッカーは専門ではないけれど、組織論で捉えると、これはいわゆる権限移譲の問題だ。現場に自由と責任を与えることで、仕事の創造性やスピード、本人のモチベーションアップを得ることが主な目的になる。

風間フロンターレでも、前述の記事を読むと、現場である各選手に自由と責任を与えることで大きな組織変革を行っていると読むことができる。ただ、これは本当正解があるわけではなくて、完全に自由にしすぎると規律が失われてコントロールできなくなるし、規律を強めると個人の創造性が失われてその先の広がりが、個人にとっても組織のとってもなくなってしまうかもしれない。

これをうまくバランスとっていくためには、各個人がどの程度まで自由を受け入れられるかを見極めないといけない。人を育てるために投資が必要であれば、それがどこまで許されるのかを見極めて実施しなければいけない。その点で、管理者に求められる能力とプレッシャーは大きい。

 

今、風間フロンターレが注目されているのは、「勝負の厳しい世界でどこまで負けが許されるのか」という点と、「我慢した先に素晴らしいチームが待っているのか」ということだろう。それは誰もわからないが、その葛藤の中で戦う精神力だけを見ても、非常にタフな仕事に違いない。

現状は厳しいと思うけれど、これがどこまで続くのか、どこかで劇的に変化するのか。今後風間フロンターレがどうなるのか、僕はひっそり注目している。

 

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