見えない「調整コスト」を考える

めんどくさい人とは「調整コスト」がかかりすぎる人。 – Togetter

が話題になっているみたいなので、「調整コスト」について考える。

この内容自体に反論も異論もないし、まさにその通りだと思う。

 

けど、実際にこういうのをちゃんと意識していない人がいるよね。特に、管理者になりたての人とか、一歩手前の人とか。「調整コスト」というのを全く意識したことがない人とか結構いるんだよ。全然大事じゃない細かいことを気にしたり、自分もやりそうな些細なミスで人をこれでもかと説教したり。(ミスは基本的に良くない。ただ、内容と頻度による。)

 

炎上するプロジェクトとか、メンバーが病気などで倒れてしまって入れ替わりが激しいところは、結構こういう「調整コスト」が膨大な量になっていて、やってもやっても作業が進まない感じになっている。顧客との関係もこじれまくって、ひとつひとつ細かいところまで説明を求められたりする。質問されれば答えるのは当然なんだけど、「ちゃんと説明する」には裏付けの調査をしたり、資料作ったり、内部でそれを決裁とったり、印刷したりなど、それなりの労力が伴うので、面白いように「調整コスト」が膨れ上がっていく。これでますます負のオーラが漂う状態になる。

 

一方で、空気を読んで「調整コスト」を下げよう、という人も結構いたりして、そうなると「言わない」「考えない」という空気が出来上がる。これはこれでまずいんだよね。問題の早期発見が遅れるから。だから、日頃からちょっと調整コストをかけてでも、オープンなスタンスで議論したり情報開示するのは大事だったりするわけです。上と逆説のように聞こえるかもしれないけど、大事なところにはちゃんと調整コストをかけようね、っていうことになる。

で、話が少し飛んじゃうけど、民主主義の制度も同じだと思うんだよね。議会とか選挙とかお金がかかるし、ある種独裁の方が意思決定が速く効率が良い面があると言われるけど、結果として独裁で人が不幸になってきた歴史があるわけなので。だから、多少効率性を下げてでも、民衆が政治を選択する仕組みがないと、独裁を招いて変な方に向かっちゃったり、チェック&バランスが働かなかったりするようになる。

 

 

というわけで、「調整コスト」というのは見えづらいけれど、いろんなところに潜んでいる。そして、「必要な調整コスト」というのがあるから、本質的じゃないムダなことはどんどん排除して、大切なところはちゃんと時間と手間をかけて議論しましょうね。(でも、面倒な人って「調整コスト」に対して自覚がないから、こういうの読んでも何も思わないんだろうな。。。)